人生において、どんな人に出会うかは、とても
重要である。私もいくつかの出会いがあったが、優しさとは何かを、考えさせられた
経験がある。学生時代の苦しい片思いが、原因でしばらく男性不信だった私が、初めて結婚を
意識して、交際した人がいた。彼は当時離婚して、子供たちと暮らしていた。思春期という難しい年頃。まして母親がいなくて、仕事一途な父親は、慣れない家事や子育てに悪戦苦闘していた。今はそれらに積極的に協力する男性も増えたが、彼は性別的な役割分担が明確な環境に育った。つまり男性は仕事をして、家族を養い、家事や子育てをして、家を守るのが女性という古い価値観の中身で生きてきたから、
おそらく離婚したら、どうなるのかを、
考えてはいなかったのではあるまいか?
そんな意味では、別れたら妻に、家のことは一任していて、全面的に依存していたようだ。
料理が作れなかった彼は、食品添加物が多く
含まれているコンビニ弁当を、毎日買ってきては、それを子供たちに食べさせていたし、
時にインストール食品の類いを買い求めて
いた姿を見て、いつしか彼のために、何か
作って、食べさせたいと思うようになった。
私たちが交際を始めた当初は、彼は別れた妻に対する思いを呟いていて、長い間彼女と結局生活をしてきたから、形の上では別れても、
彼女に対する未練が強く残っていたのだろうと
感じていた。そして男性は繊細で、女性に依存しないと生きられない者もいて、弱い一面も
あることを、知った。彼の心に寄り添い、心の内を聞いているうちに、私は彼を男として、
意識するようになったが、ある日些細なことで、ケンカをした。互いに頑固だったから、一歩も譲歩しなかった。
その後しばらくして、彼から手紙が届いた。今でもその文面に書かれていたことは鮮明に
覚えているが、それには中途半端な同情は、
傷になりますという言葉が、綴られていて、
私は胸を突かれた。確かに私は、仕事以外に
親としての責任を負い、子育てをしていた
彼に同情していたことは、事実だったが、決して半端な思いではないつもりだったが、彼は
そう受け止めたのだろう。この瞬間に、本当の
優しさとは何なのかと、考えてた。彼は単なる
無責任に同情するなら、関わらないでほしい。どんな状況でも、安易な同情など、受けたくないと、痛感していたからこそ、そんなに言葉を手紙にしたためたのだろう。私はこれにとても
衝撃を受けて、男性と女性とでは、感覚や感性が違うことを、思い知らされたし、これは全ての人間関係において、重要だが、どんなに親しくても、ある程度の距離感は必要であることを
悟った。同情と心からの慈愛との違い、同情と
真の優しさとの相違。まだ若くて、経験にも
乏しかった私が、彼の心情を理解するまでには
時間がかかり、男性は女性のように、赤裸々に
直接会っている時には、自らの奥底に秘めた
感情や思いを、口には出さないものだと、この体験を通じて、認識した。複雑でわかり難いのが、男女の仲。表面的な同情は相手を傷つけ、
人により、不快な感情を抱かせるのだと、痛感した若き日の出来事だった。