私は子供の頃から、一人でいるのが好きだった。
日本では、人と変わったことをすると、差別や仲間外れの対象になるが、一人一人皆違うのに、何故同じにしなければならないのかと、
思い続けてきたので、仲間には入れず、よく
苛められた。また亡き父は嘘が嫌いで、私が嘘をつくと、とても叱られた。時には体罰という名の暴力も受けた。だから嘘がいかに良くないことかを、徹底的に叩きこまれて、育てられた。
数年前に別れ、昨年亡くなった元の恋人は、お酒を飲まないと、無口で、容易に人には心を開けない性格だった。常に理不尽な社会のあり様に怒りを抱き、どうすれば人は幸せになれるかを、熱く語っていたものだが、彼の言葉には、
いくつかの嘘があったことを、彼と交際を
始めた当初は、気づかなかった。
私たちが交際し始めた頃は、彼は離婚していた。私には、度重なる妻の不倫による裏切りが
その原因だと言っていた。しかし私が彼と
暮らすようになると、そればかりが離婚の原因ではないと、思い始めた。当時彼は別れた妻との間に出来た子供たちを引き取り、一緒に
暮らしていたが、20歳を過ぎた長男は働かず、部屋でゲームばかりしていたし、夜になると、
髪をグリースで固めて、革ジャンに黒いパンツといったいかにも不良少年みたいな格好で、
どこかに出掛けていた。成績が良かったので、
推薦で高校に進学したが、小さい時から、
ケンカに明け暮れており、何度も警察沙汰を
起こしていて、彼は親として、その対応に苦悩したらしい。その長男は暴力で、人を威圧していたが、もし父親である彼が、家族に暴力を
ふるい、それを見て育てば、暴力に対する罪悪感は生まれはしない。私には2回しか、妻を
殴ったことはないとの賜っていたが、それは
嘘で、彼の暴力は日常茶飯事ではなかったのか?実は私の父も気が短くて、ケンカの度に、
母を殴りつけていたからだ。子供ながらに
その光景に恐怖を抱き、暴力だけは許せないと
思った。彼も父と同様に根っからの職人。
昔の職人は思うようにならないと、暴力に
訴えていたものだ。彼が2回だけ妻を殴ったというのは嘘で、本当は頻繁に彼女を殴っていたのだろう。そのような環境に育てば、子供は、
暴力を覚え、それにより、人を支配するように
なるという。
また北海道は冬になると、雪のために、失業となる季節労働者の一部は、出稼ぎに行って
いたが、彼も一時期本州に出稼ぎに行き、家族に生活費を送っていたことがあった。毎月支給された給料をそのまま送っていたようだが、
彼は若い頃に、短い期間だったが、会社を経営していたことがあり、バブルの時期でもあったので、膨大な事業利益がもたらされ、彼と
その家族はよくホテルや高級料亭で、食事をしていたらしいし、彼は長男に高価だった羽布団を買い与えた。そしてしばらく使っていた木製の椅子は高額故に、物品税が加算されたという。一度そんな贅沢な暮らしに慣れてしまうと、どんなに経済的に困窮しても、それを変えることは出来ないようだ。
それに彼の妻だった女性は浪費家で、借金癖があり、私が彼等と初めて暮らした頃は、毎日
彼女か作った借金の返済を求める電話が、
かかってきたものだ。だから彼が出稼ぎ先から
送っていた給料は、彼女の手元には余り残ってはいなかったのではあるまいか。そして彼女は
不倫をして、最終的には離婚により、彼の家庭は崩壊した。それに彼は何度も職場を変えていた。出稼ぎ先では、同僚らとケンカをして、
そこを辞めて、北海道に戻ったが、妻は家族を捨てて、愛人のもとに行き、逃げるように町を
離れた。
亡き父に、おまえは騙されやすいから、気を
つけるようにと、忠告されたものだが、厳しい
親に育てられた影響なのか、私は優しい人と
何らかの意図を持って、優しい素振りをする人との区別がつけられず、何度も男性の嘘に
騙された。それにより男性不信に陥り、結婚
などするまいと誓い、今でもそれを守り通している。幸いにも仕事があるから、一人で
生きられるが、女としては、好きな人と共に
人生を歩めなかったことを、悔いている。
何が幸せで、何が不幸
なのだろう。全て自らの意志と選択によることだ。彼との関わりにより、結婚観は変わったし、仕事のためには大きな代償も払った。結婚して、平凡かも知れないが、家庭を持つことが幸せならば、私はそれを
得ることが出来なくて、辛かったことはある。
しかし今は好きな仕事が、私を支えてくれている。有名なカトリックのシスターで、いくつかの本も出している北海道出身の渡辺和子さんの
言葉に、置かれた場所で咲きなさいという言葉がある。どんな環境に置かれても、そこで
自分らしく、輝いて生きるという意味であろう。教派は異なるが、私もクリスチャンの端くれ。いかなることがあろうとも、聖書の言葉を胸にして、生涯をかけてでも救い主である