子供の頃から、私の夢は一環していた。生まれ

ながらに病弱で、病院と縁が切れなかった。

1年保育だった幼稚園も、今はなくなったが、

個人経営だった耳鼻科の病院で、半年間

入院生活をしていたから、そこでの治療を

終えて、幼稚園に戻っても、友達は出来なかった。15才まで暮らしていたのは、日の当たらない古い木造の長屋で、私は本ばかりを読んで

過ごしていた。しつけの厳しい親に育てられ、

悪さをすれば、よく父に殴られたから、本は、

そんな辛い現実を忘れさせ、空想の世界に、

誘ってくれた。その世界に魅力され、いつかは物書きになりたいという夢を抱いた。


けれどもこの世はままならない。少しでも本の世界に近づきたいと切望していたものの、親には本に関する仕事に就くことを反対され、一番

否定していた母親学校みたいな大学の幼児教育を専攻する道しか選択出来ないように、周囲に仕向けられたし、大学を卒業して、地元に帰っても、そこで取得した幼児教育者としての資格故に、なかなか就職先は決まらなかった。

私自身幼児教育者にはなりたくなかったからだ。その後は生活のために、様々な仕事を

したが、どんな時も、物書きになるという夢は

捨てられなかったし、その夢が支えで、多くの苦難にも耐え続けた人生だった。


数年前に早期退職して、会社人間を卒業した

時、初めて自費出版で、本を作った。それも

夢の一つだった。売れるかどうかはわからなかったが、自らの本が出来たことは、嬉しくて、

その瞬間に、それまで心ならずも、やりたくない仕事をして、労働環境が悪くて、しかも低賃金の会社で、非正規として、職場では差別され

悔しくて、苦しい思いも重ねたけれど、それらに耐えて来て、本当に良かったと痛感した。



そして夢は単に見るだけではなく、叶えるものだと思った。私はクリスチャンで、神を信じて

いるので、私の夢が神の意思に沿っているなら、叶えられると信じていたが、こうして

ずっと抱いていた夢は実現することを知り、

それを諦めないでいて良かったと思った。


夢が人や世界を変える。それは真実だ。空を飛べたらという夢が、おそらく飛行機の開発に繋がり、離れている人と会話出来たならという夢が、もしかしたら電話の発明に結びついたの

かもしれない。夢を夢のままで終らせず、本来

望んでいたように、それが仕事になった幸いを

思うし、そこに神の存在を感じる。だから起業は一見初めての仕事を行うように見えるけれど、私にとっては、人生の原点に戻ったような感じなのである。元々やりたかった仕事が、

紆余曲折の末に、ようやく出来る状態になったのだ。こんな嬉しいことはない。そして次々に

新しく本を出せることも、何にも変えがたい

喜びになっている。







学生時代の夢

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する