余り災害がない地域に住んでいるので、突然
災害が発生すると、かなり動揺する。最後に
勤めた会社において、発生した停電について
お伝えしたいと思う。当時私は早朝勤務で、
午前3時には起床していた。寝る時も、完全に
照明を消すのが嫌いだから、豆電球だけはつけていた。ところがある朝いつものように目覚めても、辺りは真っ暗で照明もつかない。我が家にはラジオもないので、それは一体どういう
ことだろうと不安に陥った。暗闇の中では何も
出来ないし、子供の頃から、視力が悪く、老眼でもあるので、暗くて何も見えないことで、
パニックになった。しばらく放心状態で
あったが、居間のキッチンの間にある細い壁に
懐中電灯があることを思い出し、手探りで、
それを掴んだ。そして仏壇がある関係で、常備している蝋燭を取り出して、それに火をつけた
手元はさほど明るくはなかったが、そのささやかな灯りのもとで、お湯を沸かし、朝食を
作った。いつも居間の片隅にある木製のテーブルに置いてある携帯電話で、直属の上司に電話
して、出勤をする必要があるかどうかを確認
したら、危機意識が乏しいその上司は、出社
してみないとわからないという始末。電気が
つかなければ、バソコンや機械は稼働しない。
その状況を認識出来ないのかと呆れたが、取り敢えず、その指示に従い、出勤したが、当然
仕事にはならなかった。後日北海道の電力の
大半を供給している電力会社の送電線が、何らかの理由で、トラブルに陥って機能しなく
なったことによる停電であることが判明した。
私が住んでる町でも、病院等があるエリアは
比較的早くに電気は復旧したが、そうでない
地域は復旧が遅く、私が繰らしている所でも
近くにある動物病院付近は、早くに電気が
ついたものの、私が住むエリアは、その地域に
おいて、電気の復旧は最も遅かった。数日間ではあるが、電気のない暮らしがいかに不便で
あったことか。スーパーでは冷蔵出来ない故に
生鮮食品の仕入れを控えたり、ペットボトルに入った飲料水は、品切れになり、私が携帯電話の充電のために訪れた多目的センターの向かいのスーパーでも、食品は品薄ではあったが、
肉類の在庫はあった。だが災害情報を流す
べき行政機関が、情報収集力がなく、当時避難所にもなっていたその市立の多目的センターでも、市の災害担当者はいたものの、詳しい災害
情報は得られず、食品と言えども、菓子パンが
僅かに残っていただけで、そこに避難した市民には、充分支給出来ない量であり、そこで寝泊まりするにしても、板の間に毛布が一枚支給
される程度だった。
私が暮らしている町には、いくつかのホテルが
あり、通過型観光が主流になって以来、宿泊客が激減し、倒産したホテルもある中で、そんな
非常時の際に、市が予算付けをして、ホテルに
いくらかを支給し、市民の避難所にすれば、
プライバシーを守れたかも知れない。
これらの経験を通じて、私たちがいかに電気に
依存しているかがわかる。特にデジタル化が
進む昨今、電気が止まれば、業務上大事な
データは消去されるかも知れないし、電気を
エネルギーとして使うものの全ての機能は、
奪われる。だからデジタル化の加速は、この
ような非常時には、意味をなさなくなるのだ。
停電は時には他の災害をも併発する要因にも
なり、その時北海道の一部の地域では、地震も
起きた。日頃さほど災害がない地域だから、
その対応も遅れたのかも知れないが、いつ
何が起きても良いように、そのための備えを
する必要はあり、一人暮らしになってからは
幸いにも災害のために、お湯で作れる
インスタントのお粥とか、ペットボトルの水
等がセットされていたキットを用意していたので、食品を購入出来なかった間は、何とか
それで凌げた。備えあれば憂いなしという言葉を実感した出来事だった。