大学は幼児教育専攻だったが、法律の授業も
あった。六法全書を読んでみると、特に
刑法は古い字体で書かれているので、実に
読みにくいし、かなり古い法律なので
時代にそぐわないと思える箇所もある。
しかしここ数年改憲論者たちが、全ての法律の根幹である憲法の改正を目論見続けている。
アメリカからの圧力により、施工された集団的
自衛権は、厳密に言えば、憲法9条違反で ある。日本の憲法はアメリカからの押し付けだと主張する者がいるが、憲法草案委員会が組織され、そこで原案が作られて、当時日本を占領
していたGHQの検閲を受けて、制定された
ものである。私は9条を含めて、天皇の位置 付け、国家の役割と責任、そして国民の権利と義務を、これほど明確にした憲法は、他に類がなく、素晴らしい憲法だと、痛感している。
またこれもアメリカからの要請で、紛争地域に、日本の自衛隊が派遣されても、その紛争に
巻き込まれずに済んでいるのは、憲法が抑止力になっているからだ。
かつて日本ペンクラブ等表現活動をしている
団体が反対運動をしたにも関わらず、強硬
採決された法律がある。個人情報保護法である。これは文字だけ読めば、私達国民の個人 情報が守られるイメージがあるが、端的に 言えば、守られるべき個人情報は守られず、
私達が必要だったり、公開を求める情報は開示されないと言う実に国家にとって、都合が良い法律である。
私は官庁の非正規として働いてきた。仕事を 始めて、最初に教育されることは、個人情報を漏洩しないことである。しかし庁舎外に漏洩 することは、法律で禁止されているものの、 庁舎内においては、誰もがそれを見ることが 出来るのだ。特にマイナンバー制度になり、 それを
作成し、登録することにより、個人情報例えば預金残等の情報は、官庁関連のデータベース には、保存されるし、保険証の代わりにも なったから、国家が国民の情報を管理する傾向は、
強まった。これが個人情報保護と言えるのか。
SNSが主流を占めるようになり、どれほど個人情報の漏洩が、マスコミで取り沙汰されたことか。しかも個人情報は、売買されている時代である。私が起業してから、頻繁に詐欺メールが
送られてくるのも、私のアドレスがどこかで
漏洩されているか、それが悪徳業者などに売買されているからだろう。いくらコンピューターにセキュリティをかけたところで、頭脳明晰なハッカーは、容易に個人情報を盗み出す。
OA化が進み、デジタル志向が強まる昨今もはや個人情報保護という言葉は、死語に近いのでは
ないかと、思っている。アメリカでは、政府の秘密文書は、期間は忘れてしまったが、国民 から請求があれば、開示出来る法律がある。
けれども日本では、先のコロナのワクチンに よる死亡者に関するデータも、当初厚労省は、公表しなかったし、その罹患者数まで、
水増ししていた。だからこの個人情報保護法案が審議されていた頃に、必要な情報は隠蔽 され、言論統制がなされて、表現の自由が 奪われるのではないかと、危惧した先の団体を中心にその法案の制定を阻止するために、反対運動が展開された。
もし徹底的に個人情報を保護するなら、あらゆる官庁において、それを業務として扱う者以外は、閲覧出来ないシステム例えば暗証番号等は、その担当者以外は持たせないとか、他の 者がその閲覧を試みようとした際には、ロックされる仕組みにしないと、この個人情報の
漏洩は防げない気がする。
国家を挙げて、憲法違反を繰り返し、その 精神から逸脱した悪法が、数々制定され続けている。いかに日本では、国民の人権が厳守されていないかの現れである。韓国でかつて首相
だった金大中氏は民主主義は、国民が血を流して、勝ち得たものだが、日本人はそのために 血を流したことはないと言ったことがある。
他の国では、圧政により苦しめられた国民が、その権利の奪還を求めて、革命を起こし、
そこで多くの尊い国民の血が流された。
今のミャンマーのように、民主化を求めて、 蜂起した国民が体制側に殺戮され、犠牲を 強いられたけれど、それで専制政治は終わりを告げ、
民主国家の樹立に繋がった。それは国民が勝ち得たものだ。しかし日本はそうではなかった。
憲法で保証されている人権が侵害
されている。
それを守るのならば、個人情報を漏洩させない
強固はセキュリティシステムの構築は必定で ある。
もはや国家が国民を守る時代ではなく、私達自身が、自らを守る時代だと、痛感するこの
頃である。