典型的なアナログ人間である私は、AIが
出始めた当初は、それにより、企業においては、労働者の仕事が奪われ、メディアでは、
フェイクが作られやすくなるのではと、案じて
いて、とてもその先端のテクノロジーには、
懐疑的だった。けれどもその凄さを、実感
したエピソードがあるので、紹介したいと思う
私は物書きである。自己資金がさほどない
状況での起業だったから、出版社を通さずに、
自費出版で、本を作るしかなかった。処女作の
宣伝をして頂いたことが、縁で2作目からは、
その制作を請け負ってくれるようになった
ある会社と、最新作についての打ち合わせや
原稿の校正をしていた時のことである。
以前から、何人かの読者から、小説を書いて
欲しいという要望があったので、新作は初めて
小説に挑戦した。ジャンルに限らず、自らの
体験に基づかないと、作品が書けない方だし、
新作は自伝的なものにしたかったので、執筆中は、時に苦しくて、筆が折れそうになったが、
それを待ってる読者のために、書き続け、何とか原稿は完成させたものの、いつもなら、1.2度で済む校正が、何度も繰り返された。極めつきは、原稿のどの箇所を、どのような表現を用いて、訂正すべきかという内容を示したものが
私が抵抗し続けていたAIで、作られたらしい
のである。これには私も驚愕し、テクノロジーの進歩に、目を見張った。そこまでAI技術は、
進んでいたのだ。まさか私がAIに関わることに
なろうとは、それまで想像していなかった。
その経験により、先端技術も、使い方次第
なのかも知れず、一部の業務をAIに任せれば、
効率的だと実感した。ただモラルを守り、
それを悪用しなければ良いのだろう。仕事を
通じて、このようにAIに対する見方が、変化したのである。これが先端技術を見直すきっかけになるやも知れない。