長い会社員人生の中で、プライベートでも、
付き合えた人に出会ったのは、最後に勤めた
会社においてだった。現在は深夜勤務はなくなったらしいが、私が在籍していた頃は、24時間
稼働していて、誰もが交替勤務だった。
その会社には、独身女性やシングルマザーも、
何人かいたが、私が今でも忘れられないのは、
仕事が出来ても、正規雇用になれなかった
あるシングルマザーだった。彼女は当時母親と
学生だった子供たちを養っていた。有能だったから、ある部署の統括を経て、最終的には、
総務課に移動し、そこでも中心的な存在だった。対応が誰よりも早かった彼女には、業務上ピンチに陥った時には、いつも助けられたものだ。その会社は給料が安かったので、一人で
家族を養うのは大変だろうと思い、大学時代に
出会った沖縄在住の親友から、何か送られて
来た際には、そのうちのいくつを。時々
彼女にお裾分けしていた。はっきりと言う
性格だし、正義感も強かったので、誤解されやすかったが、誰よりも有能だったので、会社からは重きを置かれていたようだ。
私は10年働いて、その会社を辞めることにしたのだが、彼女にそれを報告するのが遅れてしまい、彼女はその事実に驚愕し、プライベートで
話がしたいと言われて、持病があった彼女が
通院のために、欠勤した日の午後に、指定
されたファーストフードの店で、待ち合わせた。窓際の席に向かい合わせに座り、私は何故
辞職を決めたのかを語った。すると彼女はその
真意を理解してくれたのである。彼女への
報告が、他の仲が良かった同僚よりも遅れた
ことに対して、申し訳なく感じていたので、
彼女が私の思いを受け止めてくれたことが、
嬉しく、ありがたかった。その後起業してからは、彼女と会う機会もないままに、時が過ぎ去ったが、ある時に彼女が亡くなったという
連絡があり、突然の訃報に驚いた。会社にいた
頃に、お世話になり、私の送別会の時には、
靴下をプレゼントしてくれた彼女が、天に
召されたことが、受け止められないまま、私は
斎場に赴き、控え室にいた彼女の母親に、
挨拶したが、その母親は娘を失った衝撃故か、
誰かに支えられなければ、立てないほと、
憔悴していた。その場には彼女が亡くなる
前日に、一緒に酒を組み合わした私たちが
勤めていた会社と契約していた清掃会社から
派遣されていた庁舎の清掃担当の女性もいたので、その時の彼女の様子を聞いたが、特に
変わった点はなかったと話していた。母親に
よれば、その日の深夜に突然彼女は、呼吸
困難に陥り、急逝したらしい。家族のために
連日にも渡る残業をこなし、職業婦人として、
懸命に生きた女性で、良き母でもあった。
持病を抱えつつも、家族のために、懸命だった
彼女はもしかしたら死によって、すべての
苦しみから、解き放たれたのかもしれないが、
私は心から、彼女にはお疲れ様でしたと、
声をかけたいと、思っている。