亡き両親は、とにかく流行には疎かった。

父と同年代の人々が、ファクスをつけても、

昔ながらのダイアル式の黒電話を使い、新しい機種に変えなかった。肉体労働で生活を、

支えていたし、必要がなかったからだろうが、

そのために、困惑したことは、数知れない。

例えば迷惑電話があった時には、仮にナンバー

ディスプレーの電話なら、知らない番号からの

ものなら、それに出ることはないから、トラブルを回避出来るのだが、それが防げすに、苦悩した。私が何度も電話を変えて欲しいと、懇願しても、頑固な父には、受け入れられなくて、

彼等が亡くなり、私が家を継いで、初めて

電話をナンバーディスプレーの機種に変えた。当時は多くのトラブルに巻き込まれていたからだった。また町の至る所には、公衆電話がありテレフォンカードで、そこから長距離電話を

かけていたものだ。今ではそれも次々に撤去されているが、かつて私が住む町では、木材の

輸入とか、魚の洋上買い付けなどのために、

多くのロシア船員が、町を訪れていたもので、

一度彼等から、外国へもかけられる公衆電話が

どこにあるのかと、尋ねられたことがあり、

英語を知らないロシア人に、ロシア語が、

分からない私が、英語で話すという実に滑稽な状況だった。果たして彼等には、私の英語は

通じたのだろうかと、後に不安になった。

しかしガラケイが普及する以前は、今よりも

人の繋がりはあって、例えば何らかの理由で

家に電話がなければ、近くに住む人々が、自宅の電話を、そんな人々に使わせてあげたり、

公衆電話においては、手持ちの硬貨を気にしつつ、電話をかける光景はあり、それもまた人間

らしいと、痛感したものだ。


私は他の人よりも、ガラケイを購入したのは

遅かったが、それでも公衆電話はしばらく

愛用していた。未使用のテレフォンカードを

プレゼントしてくれた人々のご好意により、

それも可能だったことを思えば、まだ人と

しての情緒があった典型的なアナログ時代で

あったように感じている。ガラケー以前のおもひで

 

 

 

 

 

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