20代の後半に、洗礼を受けて、クリスチャンに
なってからは、心の依り所は聖書だった。
そこに綴られている言葉は、苦しみにある時は
慰めと導き、思わず幸運な出来事に遭遇すると
感謝を覚えたが、そう実感するまでには、とても時が必要だった。この世の無情を痛感して
いたからだ。
けれども多くの言葉が、聖書からの引用である
ことを知って以来、その見方が徐々に変化した
例えば働く者は食うべからずという言葉は、
自ら働いて、日々の糧を得よという聖書の
言葉から、派生しているし、叩けよ。さらば
開かれんという言葉も、叩きなさい。そうすれば、開かれるという聖書の言葉そのもので ある。だからこれまでの人生の節目に、出会っ
た聖書の言葉は、そこにあるように、乾いた心
を潤す命の言葉だ。それらは常に、我が心に、あり、まるで灯台の灯りのように、私が歩く 道を、照らし続けている。そしてそれを頼りに、曲がりくねった人生という海を、
航海しているのである。