専門学校にいる(いた)仮面浪人、就職した。の巻 | 仮面浪人 大学合格への道

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落ちこぼれの専門学校生が大学を目指す仮面浪人の日記です。

皆さんこんにちは

 

 

もうこのブログを見ている人はブログを始めた当初の方々はいないのだろうと思いますが書きます。

 

ぼくは2浪の末、仮面浪人をしながらも落ち、編入試験を受け、何とか国立大学に転がり込み、卒業し就職をしました。

 

今は航空会社の総合職として勤務しています。

 

受験勉強をして、仮面浪人をして、就職活動をして、働き始めて、思ったことを少々書いていきます。

 

 

~~~~~人生はこんなにも変わるものか~~~~~~

 

E判定が続きながらも、受かると信じて止まなかった高校時代。自分の妄想通りになるわけもなく、自分の受験番号が無いことをネットで確認。

強く信じていた大学生ではなくなり、浪人生として1年を歩み始めます。

大学生の周りの華やかさを横目に参考書の入ったカバンを背負い、予備校で毎日受験勉強。数ヶ月も経てば予備校生活にも慣れ、遊びに出るようになりました。遊びの生活を1か月ほど過ごし、秋口にネジを引き締め、再度受験勉強へ。

 秋口に受けたベネッセ駿台模試、そこで何と志望大学からA判定が出る。志望校はレベルの高い大学ではなかったけど、E判定以外の成績表を見たことのなかった僕は嬉しい気持ちでいっぱいでした。そのまま冬に差し掛かり、センター試験へ。

1浪目のセンター試験はどんな試験よりも疲れました。センターの得点率は6割ほど。2次試験次第で合格の望みはあるため、出来る準備を全てして2次試験へ。

 2次試験でもセンター以上に自分の実力を発揮。ですが、あとセンター試験が数点足りず不合格。主席不合格だったと聞きました。

 

 「もし落ちても2度と受験なんてしない」、2次試験後に言い放った言葉です。2次試験がかなりうまくいったため、落ちるとも想像していませんでした。ですが、不合格のものに選ぶ資格などありません。自分の意志というべきか、流れるように2年目の浪人生へ。

予備校に通うのも勿体ない。しかし、週に12コマ分の授業を受ける単科目コースで浪人生活を再び始めました。

2浪目は1浪目と比にならないほど怠惰な生活を送っていました。バイトをするわけでもなく、勉強をするわけでもなく、ただただツイッターとmixi(当時流行っていたSNSサイト)を永遠に見ていた毎日でした。1年目の蓄積が辛うじてあり、模試ではそれなりの成績は収めていました。しかし、6割から7割が良いところ。鬱々とした気持ちのまま年を越します。2浪生の地獄の極めつけは成人式、大学で酒を覚えた友達たちが最高にワイワイ騒いでいる傍ら、したくもない受験勉強をする。

「同窓会が○○日の○時から○○でやるよ!来るよね?」

「いや行けないわ」

「なんで来ないの?」

 当時、2浪目から完全にフェードアウトしていたため、僕の行方を知っている人はほぼいませんでした。「なんで来ないの?」の返信が出来ず、そのまま当時のガラケーを閉じました。

 成人式にも同窓会の集まりにも行かず、挑んだ3回目のセンター試験。1浪目ほどの気力もなく、事態は最悪の結末に。受験校は2次試験の配点を満点が取れたら、ギリギリで受かる大学を選びました。しかし何の因果か、またしても合格者最低点の次点で落ちました。2度目の主席不合格だったようです。2浪目は何とか大学へ、と思い親から受験資金を出してもらい、私大も受けました。ですが、結果は全て不合格。自分の無能さを骨の髄まで知った瞬間でした。

受験やおろか、生きるのが嫌になっていました。2浪目で受験はしないと言い放ってたこともあり、後期試験の発表が終わった後から受験では無い進路を探しました。転がり込むように専門学校へと通うことになりました。

 

「ここは動物園か?」

忘れもしない201343日、事前顔合わせで最初に思ったことです。既にオープンキャンパスで知り合ったもの同士が入学しているようで自分は入り込めませんでした。2浪しているから年齢が、というより周りの空気感についていけなかった。帰り道、気づいたら英語の参考書を購入していました。3浪目の始まりです。

しかし、受験に関して親は辞めろの1点張り。言うのも当然です。3年も費やして失敗が続いたわけですから。自分が受験勉強をしていることを知った親とは険悪になり、家に帰っても話すこともなくなりました。

「こんなところにいたくない」並々ならぬ気合が入っていたと思います。その日から仮面浪人という形で浪人生を始めました。週6日のアルバイト、専門学校の単位も1つも落とすことなく一番いいA評価を全ての教科で貰いました。専門学校、アルバイト、受験勉強、この3つを共立させるだけの力を持っていたのだと、自分でも驚きました。

専門学校で受験勉強は英語以外、言い訳が出来ないので通学中や放課後、バイトの行き帰りでやりくりしました。

専門学校に授業しに来る大学の教授に「大学はどんな場所か?」と聞いて、「やっぱり行く場所は大学なのだ」とモチベーションを高める材料となっていました。

何とか1浪目より少し良い成績を維持しながら秋口へ。ちょうどその時、このブログを始めます。日々の記録や専門学校の嫌気を吐き出すブログでした。受験ブログは中々人気なのと、専門学校生が仮面浪人をするなんて稀有なケースなので意外と閲覧数が高かったです。ブログで知り合った方と模試の成績を開示し合ったり、レベルの高い人の話を聞いたり、ネットの繋がりなんて、と馬鹿にしていましたが助けられました。

いよいよセンター試験、4回目です。浪人生活の中で1番良い成績を取りました。2次試験でも持てる力は全て出しました。

2度ある事は3度ある。まさかの3度目の主席不合格。こんなこと人生であるのか?と思いました。受験には落ちましたが、この1年は人生で1番ガムシャラにやった1年でした。

 

最後に残された編入試験。1日でも早くこの専門学校から抜け出して大学に行きたい。そんな思いで始めた大学受験。卒業が前提の編入試験に挑むことになりました。

仮面浪人時代に知り合った方に編入試験の小論文や英語の添削をしてもらいました。2年目の孤独にも耐え、とうとう地方の国立大学への合格が決まりました。

 

 

 大学では部活と研究をしたい。1人暮らしで全てが新しい大学生活、本当に新鮮でした。ただ、編入生という事で新参者の意識は常に持ち、立ち居振舞いには気をつけました。

 しかし、自分が望んでいた環境が大学にはありました。自由に突き詰める、まさにこの言葉がピッタリな。勉強でもいいし、アルバイトでもいいし、部活でもいいし、ボランティアでもいい。なんでもやれることがある。まずは色々な先生の名前を覚えることにして、授業も常に1番前に座って聞くようにしました。半年くらいたった頃、学会に呼んでもらえるようになったり、先生から食事に連れて行っていただくことも増えました。

 こんなにも変わるものか、ドラスティックに日常の全てが変わりました。しかし、環境だけが変えたわけでもありません。自分が持っていた好奇心が突き動かし、生活そのものが変わっていきました。2年しかない大学生活、4年分学んでやるぞ!と意気込み、あれこれ沢山やりました。勉強して部活をして、お酒を飲んで、しっかり寝て。本当に素晴らしい大学生活でした。また大学で知り合った友人とも働いた今でも会うほどの仲にもなりました。

 

 就職活動、いわゆる就活もしました。就活の話は1つ前の記事で話しているので多くは割愛します。専門学校で鬱々としていた自分が就職活動で選考が進み、東大、京大の本気で競い合うとは思ってもいませんでした。都内の有名大学と違うので、OBOGのコネなどもありませんが、自分でごり押しOBOG訪問もしました。名付けて立ち飲み就活です。朝昼の食事代を飲み代に充て、立ち飲みで隣にいる社会人に話しかける。本当に多くの人に会い、話を聞きました。話している最中に「じゃあ人事に話をつないでやる」とその場で人事の方に連絡してくれる方もいました(コネ入社は嫌なので丁寧に辞退しましたが)

お金は使いましたが、企業から選考が進むと出してくれる交通費を頼りに就活を続けることが出来ました。

今の会社には自分で真正面から選考を受け、入りました。同期に聞いたら、3年の段階で採用が決まっていた人も多かったようです。留学経験も無く受かったのは、かなり稀有な例だそうです。

 

 

実際に働いてみて

仕事出来る、出来ないはありますが、人間としての厚みや深みというのは年齢ではなく、経験の多さがモノを言うなと感じました。現場に立って仕事をしていると、人を説得できる上司がいます。話を聞くとやはり多面的に物事を見ることが出来るような経験をしているなと思いました。自分より齢の若い同期でも、自分の倍近くいろんなことを経験しているなぁと思うような方もいます。年齢はあくまで目安でしかなく、生きてきた中でどういった経験が出来ているかが一番だと思いました。

 

最近なにが幸せなのか、ということを少し考えています。何とか会社に就職出来てお給料も貰って生活出来ていますが実際問題、大学時代の方が楽しかったです。自分の好きなことを好きなだけ出来たからでしょう。職業、となると1つのことに突き詰めなければいけないので、あれもこれも出来ない。好きなことをやっている大学時代が一番幸せだったかなと。

やっと1年が経ち、少し余裕も出てきました。大学院にも興味があり、学費云々がうまくいけばありかなとも思います。

結局のところお金があれば幸せ、なんてことはありえないんだと実感しています。しかし、人生絶望期の20歳の春からよくここまで立て直せたと思います。まだまだこれからなのでしょうけど。

 

 

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今これを見ている受験生の方、人生捨てたもんじゃないですよ。頑張り方次第で数年で鮮やかに変わります。ただ毎日の変化の実感はありませんが、気づいたらこんなに人生変わってました。相当な挫折をしました、ですがそれと同等に良い思いもしました。

 

今回の記事はこんなところで。

また数年後かけたら書きます。