寒かったーーーーーーー!!!
通勤なので手袋にグルグルマフラーの完全防備
なのにとってもサムー。冷えは天敵
ご注意を。
さぁ、2009年10月に幼馴染と楽しくしたってのに、2009年11月には予想外の痛さのためレディースクリニックに行くmayです。
これまでのお腹の痛みは排卵痛と同じ時期にチクチクと起こってました。それが、この時期の基礎体温表を見ると・・・・ (イタイ)のマークばかりが続いてます
netで調べるとお腹の中を針で刺すようなチクチクした痛みは筋腫が変性している時に感じることが多いと書いてありました。「変性」って判らないけど筋腫が大きくなっちゃうってコト
しばらく様子見で記録をつけていたけれど、お腹も張っちゃって、ガードル履くのも苦しくなってきちゃいました。
ちなみに『変性』とは
筋腫に十分な栄養と酸素がいきわたらなくなると、
細胞や組織が壊死してしまいます。これを変性とよびます。 だそうです。
が10日以上続いたある日、mayは内診台に乗っていました。今度は「絶対何かある
」って感覚があったので目をつぶってました。速攻一言目に「あー、大きくなってますねー!!」 とお医者さん。
一つは直径5cmで変化なし。
もぉ一つが直径8.6cmに成長!ギャー
子宮の大きさって卵大って言いますよね。
なのに、そこに8.6cmと5cmの余分なお肉がついてる・・・
そりゃ痛いのも無理ないわ・・・って感じです(笑)
これ以上大きくなると手術するにも色々と準備や治療で大変になるし、これを機に取っちゃいましょうこれは前向きな治療ですよ。
1月からなのでまだ11カ月程度、しかも3回あっただけですが、このお医者さん、ほんとに何もかもあっけらかんに告げてくれます。これが良いのか?悪いのか?説明する時には図も書いてくれて、判り易く説明しようとしてくれているのが判ります。無理強いはしないし、患者の事を考えてくれるお医者さんなんでしょうね。
「検討して連絡します」と言ってクリニックを出てきました。
母の様子がおかしかったんです。痛いから医者に行ってくるとmayが言うと、大きな深いため息を一つついただけ。
may自身も迷いはあったものの、を産む事を考えた際に、一番良い方法を取ろうと思っていました。母に筋腫の大きさと手術を勧められた事を告げると、何も言わず、黙々と夕飯の支度に・・・。その後、母の口から筋腫の事を言われることのない日が続き・・・。
完璧に筋腫の話を避けてます
こんな状況になるとは思ってなかった。
結局この時はエツ叔母と叔母の友人キヨミンが色々と話を聞いてくれましたエツ叔母は筋腫はないものの排卵痛アリ、キヨミンは筋腫も排卵痛も無かったのですが
飲みながらよもやま話。そして、意外な人を紹介してくれました。
それがToshieちゃん、2年前の33歳の時、2kgの漿膜下子宮筋腫を開腹手術で取ったそうです。胃の近くにあったので、ずっと胃痛と勘違い。近所の内科に行って、別の病院を紹介され、ソコで筋腫が判ったそうですが、その病院のMRIでは全部写らなかったそうです。巨大すぎて 子宮全摘じゃないと手術しないと言われてしまい、大学病院まで行き、ソコで保証は出来ないけれど可能な限り子宮温存の手術するという事で開腹手術したそうです。よく見る砂糖一袋が1kgですよ
それが二袋
ウヒャー
もちろん
無事成功
おまけにその後彼氏も出来て、昨年末には入籍し、来月には結婚式
です
更には会社でもmayの周りにも同士がいることが判ってきました。
月経過多と生理痛からくる激痛から子宮筋腫が発覚し、様子見してたら予想外に癌マーカーが上がってしまい緊急開腹手術した30歳の子、二人目が欲しいけど仕事のため、筋腫も三つあって、ホルモン治療を続けている40歳の先輩・・・沢山イター
ミンナ親身になって手術の様子や治療の様子を教えてくれました。頼もしい
そんな時、えつ叔母の母への説得があり、母がやっと前向きになってきました。母もどうしていいか判らなかったそうです。父にmayの状態を告げると、父は「そんな状態なら早く大きな病院でもっと精密検査して、一番良い方法を取らなきゃダメだっ」と言ってくれました。
そこでmayはToshieちゃんが手術した大学病院に行くことを決意したんです。早速紹介状を持って行ってきました家族三人で(笑)
つづく・・・。