賽河原は海辺の近くの小さな寒村の出である。

だからこそ、というより、なればこそ、と言った方が良いかもしれないが、なぜか彼は自身の立ち位置の角度に必要以上にこだわるべきだと強く思い込んでいた。それは思想的にとか感情的にではなく、物理的にである。

その固着的な妄想がいつから生じたのかは分からない(彼自身、それについて考えてみたこともない。おそらく寒かったからだろう)。もしかしたらそれは誰かから刷り込まれて生じたのかもしれない(だとしても彼は全く気づかなかっただろう。なにせ寒いのだから)。またはそれは全くのアクシデントから生じたものかもしれない(しかし彼は覚えていないだろう。なぜなら何にもまして寒さが優先するのだから)。

かくして寒村と物理的な角度についての因果関係に深い考察が全く及ばぬまま、何食わぬ素振りで彼の人生は進行していた(もし彼が急峻な土地の山村の出であったなら何を強く思い込んでいただろうか?そこが寒くないとして)。

笹「塩ですか、先生」
賽「ええ。何を差し置いても塩でありますな。バッハには塩。これは掟であります」
笹「はあ」



賽河原は笹暮の靴先の片方が自分に向けて斜め35度に向いているのが先刻から気になっている。

そして瞬時に自分の頭の中でふくよかな薇(ぜんまい)が渦を巻いて成長しているのを感じたが、今はそれどころではない。角度である。



賽「ああ、まずそこが基本なのです。そしておもむろに向きを揃える。そうしないとですな」
笹「先生」
賽「あえ?」
笹「まず塩をどういうふうに」
賽「それはだね」

ここで賽河原のシナプス上で山菜(薇)と塩が結びつき、彼の頭脳にかくも巨大な混乱が生じたのだが、それを推し量る者はどこにもいない(脳内の微弱電流によって山菜は全きほどのイタリア風に調理されているのだが…残念なことだ)。


(イタリアンパセリ)

笹「塩はどのように使うのでしょう」
賽「…ふぬう」

この瞬間に、薇とみられる山菜と塩とが賽河原の脳内で半ば強制的に固着を始めていたが、彼がそれに気づく様子はない。全くもって。

賽「やはりまずもって」
笹「ええ」

賽「よしんばですな」
笹「えぁ?」

賽「さりとて」
笹「はあ」

賽「むしろ」
笹「……」

彼の脳は、急激な電流の増大による一時的な記憶領域不足で全体が誤作動し、処理できる文字数が著しく減少すると同時に接続詞をエラーとして吐いている。

角の取れた白餅が青草だらけの崖を転がるがごとく、これは彼には当たり前の出来事だ(しかし故郷の寒村以外に周知されているかどうかは知らない)。


恐らく次の接続詞は「さて」だろう。文字数的に。

賽「さて」
笹「どうされました、先生」
賽「…ぬふう」



混乱の後に真っ先に賽河原の脳裏に浮かんだのは、土星の環に含まれる岩塩とその圧縮率による組成構造の変化であった。同時に、寒村の軒先に干された昆布の群れもわずかに記憶の淵をかすめたが、それはまるで128分音符のごとく細微な時間であったに過ぎない。

笹「あの先生、ここでいったん休憩を」
賽「…うぬ」

彼の頭の中に置かれた灰褐色に古びた椅子がわずかに軋むような音を立て、脚の一本がごく控えめに床にめり込んだようだった。


そしてその脇にある箪笥の取っ手の錆に気が付くと、賽河原は浅く溜息をひとつ吐いた。そっと、誰にも悟られぬように。

彼の海馬の庭先には紅色の蝶が飛び盛り、梅の花が乱れている。