こんな閑古鳥の鳴き渡っているブログで突然スピリチュアル(←この言葉にすごく違和感があるのだがそれはともかく)な話題ですが、この手の話はぼやっとではなく、可能な限り具体的に説明したいと思う。果たして上手くいくかどうか。

 

まず始めに、「仏像などが半眼でいるのは仮想的な視点(あるいは意識)が頭部の後方に置かれているのではないか?」という推測から検索してたどり着いた二つのブログ。

 

「後ろ」のチャクラ

https://www.starheart.jp/blog/archives/24370


 

2つ目のブログ ではイラストで感覚的な状態が具体的に説明されている。

1つ目のブログ記事 ではチャクラの立体性やその仕組について充分な説明がなされている。記事にあった画像から、出典元の著書と筆者(バーバラ・ブレナン女史)が判明。

 

光の手―自己変革への旅〈上〉 バーバラ・アン ブレナン

 

バーバラ・アン ブレナン (←英語版ウィキペディアの翻訳リンク)は、海の向こうのヒーラーの方らしい。

上記著書の2つの図の画像。チャクラはエネルギーが集まる渦の様なポイントで、ブレナン女史のようなそれを視覚的に捉えられる人にはこのように見える(?)らしい。
 

女史によれば、7つのチャクラはよく図示されるようなただの丸い点ではなく、前後に立体的に展開している。また全体の構造としてアナハタチャクラ(ハートチャクラ)が肉体的段階と霊的段階をつなぐように3-1-3の様な配置になっている(詳しくは画像を拡大して確認のこと)。

さて、「後方を意識する」ことを上の図に当てはめると、「精神のチャクラ」「意志のチャクラ」に集中することになり、感情に振り回される状態(焦り・苛立ち、等々)とは逆の意識になる。

頭部の後方に示された英数字6B、5Bについて、別のページには次のような説明がある。

6B 精神的管理 - 実践的方法でアイディアを実行する能力
5B 社会や職業の内部における自己の感覚

この投稿の元になったブログ記事。読者登録していないが、リブログなるものをしてみました(上の1つ目のブログも同様に)。悪しからず。

記事元から引用
---
ただ私の意識の使い方の絵はすこし違うかな。意識の矢印が首に戻ってこず背後に向いています
---
この感覚は明らかにブレナン女史のチャクラの図の流れと一致している。



えー、以上すぴりちゃーな話題にも関わらず淡々とした文体で失礼しました。

女子(または婦人)の方々が書かれる、あの永遠に続く無限階段のように改行し続けるポエミーな文章は私には一生かけても到達できそうにないですが、この記事がどなたかの参考になれば幸いです😔

※追記

半眼で思い出したのですが、大学の同級生に必ず薄目を開けて寝るやつがいて、いつ見ても不気味だったです。仏像とは関係ないけど。