笹暮剥太郎(ささくれ むけたろう、編集部)

「皆様こんにちは。ありえへん音楽出版編集部の笹暮剥太郎と申します。最近ピアノの練習でグリッサンドをやり過ぎて手がボロボロです。さて本日は『楽譜の向きを変えてたちまち譜読み力をアップ!』ということで、楽譜の向きにお詳しい賽河原弾蔵先生にお話をうかがいます。先生、本日はよろしくお願いいたします」

 

賽河原弾蔵(さいがわら だんぞう、楽譜収納研究家・書棚アドバイザーピアニスト)

「こんにちは、賽河原弾蔵と申します。積んだ石を鬼に崩されないよう日々ピアノを弾き続けております。こちらこそよろしく(会場拍手)」

 

笹「ありがとうございます。早速ですが先生は画期的な楽譜のしまい方を発見されたとか」
賽「ええ、そうです。あれは1965年の冬のことでした」
笹「ほう、そんなに以前から」
賽「はい。箪笥に入った衣類を取り出して整理していたときのことです」

笹「楽譜ではないのですね、最初のきっかけは(笑)」
賽「そうなんです(笑)恥ずかしながら私の家にある箪笥は、戦前に両親がハルビンから帰国した際に配給で

(・・・以下延々と満州からの引き揚げの話が20分ほど続く)

 

賽「…というわけなんです」
笹「そしてご両親は先生をインドに留学させる決意をなさったと」
賽「ええ。またそれからが苦難続きで、サンスクリットを勉強しようにも当時の書店には

 

(・・・以下延々とインド渡航の苦労話が30分ほど語られる)

 

 

賽「…でやっと帰国できたのですが、またそれからが、、」
笹「先生恐縮ですが、ここで20分ほどの休憩に入りたいと思います。お話の続きは後ほどお願いいたします」
賽「あ、ええ分かりました。ではまた」

(休憩中、控室にて)

 

笹「先生お願いしますようう、もう時間がないもので、残りは手短にお願いできませんでしょうか。せんせえ本当にお願いしますよう(身体をくねらせながら半ば涙目で訴える)」
賽「いやいやいや、ついつい思い出しちゃってねえ、うわっはっはっは、すまんねえ」

 

鼻の穴を1.2倍ほど膨張させ、微量の涙を分泌しながら豪快に笑ったあとに、賽河原は真面目な表情に戻りつつ笹暮に対して凡そ65度の角度ですっくと立ち、その眼差しを窓の外のビル群に向けた。まるで蕎麦屋の岡持ちに狙いを定める優雅な鷲のように。

 

その時、賽河原はビルの鉄骨とスルメの駄菓子の構造が非常に似ていることにふと気付いたのだが(なぜかこれは彼にとって驚天動地の発見であったらしい)、やはりそれを死ぬまで誰にも言わぬことを決心し、休憩が終るまで完全に沈黙を貫いた。

 

彼の頭の中に置かれた熟れた西瓜が緩やかな勾配をゆっくりと動き出し、静かに下って行った。

 

 

(休憩後)


笹「それでは後半の部を再開したいと思います。先生それでは楽譜の」
賽「それでですな、私がセイロン島の方角に向かって五体投地を」
笹「…先生、まずバッハの楽譜についてなんですが」
賽「あえ?(虚を突かれて左右の目のバランスが遠近法的に崩れる)」
笹「楽譜についてのお話を…あと現在の名称はスリランカ島ですね」
賽「はあ、そうですな。これは失敬を」
笹「先生ベーレンライターとヘンレではどちらが」
賽「まずですな、バッハには塩です。塩。これしかありませんな、間違いない」

かくして賽河原は毅然として語り出したのだが、彼の脳裏を駆け巡る記憶(今ひとつ定かでない)の前では、笹暮の口から出てくる言葉がヘンレであろうが筑前煮であろうが南国の粗塩であろうが、何一つ意味を成すことはないのであった。

 

彼はチベットの氷河が含有する塩分量に思いを馳せ、ゆっくりと目を閉じた。

(つづく)