生まれて間もない、小さな小さな体に大切な命。
儚く消えてしまった…。
多くの方に見てもらいたいです。
でも、精神的ダメージが大きいかもです。
痛まない心より、痛む心を持っている人間のほうがいいけどね。
私も昔、生まれたばかりの小さな小さな子猫を、引き取らざるを得ない状況になった事があります。
子猫の様な鳴き声が、どこからか聞こえてくるなあと思っていたら、何とそれは、その日たまたま私が乗っていた軽トラの荷台から、ビニール袋に入れられ置き去りにされた、2匹の子猫の鳴き声だったのです。
どうしていいものか分からず、最初は私も「他の人に見つけてもらいな」と、荷台から下ろして帰ろうとしました。
が、やっぱり見捨てられなかった。
ペット禁止のアパートに、とりあえず連れて帰りました。
しかし、当時の私は猫が好きという訳でもなく、飼った事もないし、何をしてあげれば良いのか分からないまま、一生懸命に何かを訴え鳴いている、2匹の子猫と一晩を過ごしました。
考えた末、翌日、動物病院に連れて行きました。
「このままじゃ死んでしまいますよ」って言われても、こっちだって困っているんですけど?っていう感じです。
「とにかく、温かくしてあげて!ミルクをあげて栄養を摂らなきゃ!体温が上がってくれば、動き出すから!」って言われても、うちはペット禁止なんですけど?っていうか、飼い主じゃないし、私もある意味、被害者なんですけど?って感じです。
どうしようもないんで、それから子猫2匹との生活が「ほんの少しだけ」始まりました。
病院から帰り、言われた通りに、すぐに空き缶にお湯を入れて、子猫が火傷しない様に、タオルでそれを包んで、段ボールの四方に置き、毛布がわりにタオルで子猫の体を包んであげました。
すると、しばらくすると、ほんとに動き出したんです。
ほっとしました。
じゃあ、次は食事だ!と、温めたミルクを用意し、病院からもらったシリンジで、少しずつ飲ませてあげました。
必死に飲んでいました。
小さな命は生きるために力強く。
しかし、私は普通の牛乳をあげてしまったのです。
ミルクと言われたので、ミルクと言えば牛乳としか思わなかったのです。
今ならわかりますが、まずい事をしてしまったんです。
それでも、お腹が空いて空いて、たまらなかったのでしょう。
命の限り、必死に飲んでいました。
そして、牛乳をいっぱい飲み終わった後、しばらくして、1匹が牛乳を吐いて、死にました。
せっかく動ける様になって、ミルクも飲める様になったのに…。
もう少し早く、何かしてあげていたら…。
と、心が痛みました。
最期に、お腹いっぱいママのオッパイを飲んだ気分になって、満足して死んだんだって、自分に言い聞かせました。
これが、最初の別れでした。
埋めてあげる時、いっぱい謝りました。
もう1匹の兄弟?兄妹?姉妹?か、わかんないけど、絶対死なせないからねって、埋めてあげました。
それから、もう1匹は何とか元気になりました。
お腹が空けばミルクを欲しがりニャーニャー。
私が寝ていようが、ペット禁止の部屋だろうが、お腹が空けばニャーニャー。
とにかく、黙ってもらうために、ミルクを作り、シリンジで飲ませる。
最初はそんな感じでした。
ミルクから離乳食、そしてカリカリのドライフードへ。
そこまで。
お前の面倒をみれるのは、もうここまで。
そう決めていたのです。
初めて出会った場所、そして、先に逝った、きょうだい猫を埋めた場所の近くで放しました。
そこまで一緒に生活したわけで、情が無い訳がない。
名前はつけませんでした。
私はネコと呼んでいました。
ネコは離れようとはしませんでした。
だから、私が離れました。
これからは、自分で生きていけよって。
心が痛まない訳がない。
生きていけるのか心配しない訳がない。
でも、もうここまで。
飼ってあげれないんだよ。
ごめんな、ネコ。
お別れの時なんだよ。
部屋に戻っても、いつも居たネコはもちろん、もういない。
ニャーニャー言われる事もない。
ネコとの生活の跡が、あちこちに残っている。
それらが、小さかったネコ達との出会いから今までを思い出させて、これ以上、どうしようもできなかった自分を責めました。
心が痛くて痛くて、ネコに会いたくて、ネコを捨てたという気持ちが、私を苦しめました。
それから時が経ち、約20年。
ふと、突然猫が飼いたくなり、そして、うちにやってきたのがマフ。
先に逝ったネコか、後に逝ったネコが、マフだったりして。
そんな気がしなくもない。
2匹のネコ達は、今も私の心にいます。
2匹のネコ達に、教えられた事が沢山あります。
だから、マフを大事にする。
小さな命を守りたい。
そんな心を持った人間が増えて欲しい。
この思いが広がります様に。
あいらぶマフ。