実は | Hi な薬剤師の備忘録

実は

ボクは本当に子供が好きなんだと思う。

子供たちの笑顔のパワーは、ストレートに心に沁みこんでくる。

ボクの会社の支店は小児科の近くにあるため、当然ながら子供たちがいっぱい来る。


オマエは本当に病気なのか?と言いたくなるほどテンションの高い子。

落ち着いて絵本を読んでいる子。

具合の悪さからぐずったり駄々をこねる子。

お母さんから怒られたのか、本当に悲しそうに泣く子。

色んな子供がいて、ボクは彼らから少しずつパワーを分けてもらう。


一方、、、

本当にいとおしい目でわが子を見守る母親。

厳しめだけど、言葉に愛情を感じる母親。

騒ぐ子供をどうしていいかわからない母親。

自分の子が騒いで回りに迷惑をかけているのにも知らん振りの母親。

なぜそんなに怒るの?と思うほど病気のわが子を叱る母親。


どんな形の愛情でも、どんな形の躾でも構わないけど、子は宝だし、子は鎹だし、とにかく子供は一番身近な大人としてまっすぐに親を見ているし、親しか頼ることができないんだから、これに応えてやらなくちゃダメだ!

子は親のおもちゃじゃないし、ペットじゃないし、子育てはゲームじゃないんだからリセットは効かないことを忘れちゃダメだ。


子供が虐待されるようになった昨今、、、

鬼畜の親の台詞は決まって「躾でやった」だ。


ふざけちゃいけない。

子供を作るころの親の年齢は、まだ人間としても未完成、未熟な時期だ。

親は子を授かって、子を育てながら人間的に成長を重ねていく。

その時期の親は躾という言葉が使えるほど躾けられた人間ではないことを自覚すべきだ。

一番大切なのは他の人に迷惑をかけないなのに、親のオマエらが他人に迷惑かけながら生きてる自信があるのかという点が重要なのに。


成長していく子を通して、親も成長していく。

成長を重ねる我が子の手本として恥ずかしくない様に自分を磨く。

子の成長とともに親もまた成長するんだ。

子を見れば親が分かり、親を見れば子を想像できる。

子が親の鏡といわれる所以だ。


大人がくだらない世の中を作り、報道の自由は特定の地区で起きた事件を全国区にして累犯を呼び、体と欲だけ成長した親が示せる手本など知れている世界が出現した。

他人の子まで面倒みろとは言わないから、せめて自分の子だけでも可愛がってやってくれと思う。