閖上の今、今日、です。3013年3月10日。
木と碑が各1つずつ残っただけの日和山。他の碑は流されて下に立てかけてありました。
日和山には写真が展示されたり、11日が月曜日だったからか、
お花をもった遺族が山にお花をささげに来ていたようです。
写真真ん中あたりのお寺の前あたりに、避難所にしていた公民館があったそうです。
その公民館から、津波の大きさを知った閖上の方々は中学校まで逃げているうちに、流され、被害にあったそうです。
中学校に津波が到着したのは
15時55分。
地震は14時46分。
約1時間後だったんですね。
釣り好きがよく来ていた川。
閖上に何回か来たことがあったはずなのに・・・
こんなにも何もなくなってしまうと
・・・なんて人間の記憶が曖昧なことか・・・。
市場みたいなのもあったはずで、
それが、この広くなってしまった閖上のどこの辺りだったか思い出せない。
父の実家の東名。
震災後、新幹線が何とか動きだしてすぐ、父と伺ったとき、
道路の左右の壊れた家の向こうが、すべて流され、海になっていた。
地盤が低くなったそうだ。
しかし、自衛隊の方々が流された人をその海になってしまった中に入り、
並んで捜索している姿は大変有り難い気持ちと
自衛隊の大きな男の人達の腰まで水が上がっていることに驚きを感じた。
下の写真は2011年4月の東名。
ちなみに実家の1つの家は流され、何もない。
たぶん、閖上も震災後、水が上がっていただろうと思う。
続きは3で。




