雅山が引退 不屈の闘志で存在感示す | あっくんの自由気侭ブログやねん

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01年に大関から落ちはしたが、その後、足かけ13年関取を務めた雅山。不屈の闘志で存在感を示した。



 90年代後期。「若貴フィーバー」を打ち破らんとする武蔵川部屋で鍛えられ、初土俵からわずか2年で大関になった。だが、けがに泣き在位8場所。後に雅山が「勢いだけ。なるのが早すぎた」と維持の難しさを吐露したことがある。


 ここから意地を見せた。「上を食って、下にはカベになる。元大関として若い衆の手本になる」。03年初場所では、10戦10敗だった横綱・貴乃花を二丁投げの大技で裏返し。物言い・取り直しの末に敗れたが、「貴乃花びいき」と国技館に抗議電話が殺到した。その場所中に貴乃花は引退した。


 その後の「モンゴル隆盛期」にも気を吐いた。06年夏、新大関優勝した白鵬には唯一土をつけ、関脇で14勝。初めて優勝決定戦に進んだ。翌場所も10勝し、協会から「あと1勝あれば大関に上げられた」と惜しまれた。朝青龍から金星2個。撃破した時に、本来は下に切る手刀を高々と上げ、興奮ぶりを表した。当時は安馬だった日馬富士には幕内で初顔から4連勝。テーピングだらけの「古参」が有言実行した。


 「雅山って大関だったの?」。最近は、こんな声もよく聞かれた。この日の引退会見で雅山は黄色いタオルであふれる涙をふき、声を詰まらせながら「他の人ができない苦しさを経験した。それを若い人に教えて生かしたい」。土俵を去っても貴重な人材である。




雅山関


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