小正月
一月十五日は、小正月です。
元日の大正月に対して言うもので、女正月、十五日正月などとも言います。
「女正月」の呼称は、正月中、女性はなんだかんだと却って忙しく、ようやくほっと一息ついたり、年始回りを始めたりできるようになるのが、この頃だという事なのだそうですが、上方が主で江戸ではあまり言わないそうです。
古来民間では、この小正月が本来の年越しであったということで、郷土色豊かな行事や、しきたりが、一年の中でもっとも多い日になっています。
一般によく行われているのが、小豆粥を炊くことで、粥の中に竹筒を入れて、筒の中に入った粥の多少で、今年の米の出来を占います。
このように、豊年を予祝する行事が非常に多いのが小正月の特徴で、餅花、繭玉といって、柳や水木の枝に餅を花のように付けたものを、米や繭の豊作を祈って座敷に飾ったり、また、削り花、削り掛けといって、竹柳の枝先をササラ状にして、稲の穂垂れの様子をかたどった物を、門前や家の中に吊るしたりしました。
火を焚くことも、広く行われていました。
これは、宮中の儀式、左義長が民間にも広まったもので、どんど焼き、さいと焼きなどとも呼ばれ、松の内が過ぎて、不要になった門松や注連飾りなどを、氏神の境内へ持っていき、焚き上げるのが一般的です。
「どんど」は、火がどんどん燃える様を表したもの、あるいは、本来は「とんと」で、「尊と」なのだと言われています。また、「さいと」は、道祖神を祀ってある所を表す言葉で、この行事が道祖神信仰と結びついていた地域が多いことを物語っています。
しかし、江戸の資料で、小正月について詳しい記載のあるものが、ほとんどありませんでした。どんど焼きが、江戸ではどのようにして行われていたのかも、分かりませんでした。
大都市江戸では、豊年を予祝するといった、農村的な行事は、あまり重要視されていなかったのかもしれません。
上方などでは、松が取れるのは、どんど焼きを見越してでしょう、小正月の前日、十四日なのですが、江戸では、六日と早いのです。(もっとも、仙台などは、四日とさらに早かったらしく、「伊達の四日門松」という言葉も残っています。余談ですが、わたしの住む札幌は、なぜだか十一日が松納めです)
もっとも、江戸でも六日の松納めは、屋外の飾りだけを取り去って、家の中の輪飾りなどはそのまま残しておき、十四日に削り掛けと付け替えるのが一般的でした。
農業にはあまり縁のない江戸市中でも、削り掛けを吊るすことは、武家、町家を問わず、行われていたようです。