労働組合法制定の日
1945年に日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本の民主化政策を次々と打ち出しました。同年10月には、教育や経済の民主化などの「5大改革」を指令しました。その一つとして、12月22日、労働組合法が制定されました。これにより、労働者の団結権、団体交渉権、団体行動権(ストライキの権利など)が明文で保障されました。そして、翌年にはこれらの権利は憲法上の権利(28条)として結実しました。近代の各国の歴史を見ると、労働者の人間らしい生活の保障や、市民の各種自由の実現、さらには政治や社会の民主化は、労働組合の力なくしては語れません。
しかし、日本では、明治期に芽生えた労働運動は治安警察法(1900年)の下で壊滅状態にさせられ、昭和に入って戦時体制下では実質的に消滅していました。「5大改革」のみならず民主主義の数々の政策を実現するためには、国民の側から国家権力に対してそれらの実現を迫る主体の存在が不可欠でした。労働組合法の制定は、目的である「改革」を担う主体の形成を意味し、実際、労働組合は、戦後の民主主義や平和を実現するうえで、決定的な役割を果たしました。
現在、労働組合は大きな課題を抱えています。産業構造の変化や、企業の締め付け等のため、組合の組織率は低下し、政治や経済への影響力は減少しています。小泉内閣以降は、政府も重要な審議会から労働組合の代表者を排除するなど、労働者の声を無視する姿勢を強化し、このことが労働者や市民の生活を圧迫する大きな要因になっています。労働組合の側でも、近年著しく増えているパートタイマーや派遣社員などの非正規労働者を組織化することなどによって、格差社会や生活保護の水準以下で働くワーキングプアの存在を許さないための主体的な力量を高めることが不可欠となっています。