今日は…
『そばの日』
東京都麺類生活衛生同業組合が制定。
美味しいそばをもっと多くの人に味わってもらうのが目的。
日付は新そばの時季を迎えるのが10月であり、十は『そ』、八は『ば』と読めることから。
そばはかなり古くから(多分縄文時代から)食べられていたものと思われま
すが、文献に現れるのは遅く、おそらくは続日本紀養老6年(722)の記事が最
初ではなかろうかといわれているようです。この時期は不作が続いており、
特にこの年は5月から7月まで雨が降らないという異常気象に見舞われていま
す。これに対して元正天皇が7月19日「晩稲・そば・大麦・小麦の栽培」を
全国の国司に命ずるよう詔を出しています。
そばは基本的に「米がどうしても育たない荒れた土地用の雑穀の類」と思わ
れていたようです。中世になるとこれが「雑穀である」という考え方から、
五穀(米・麦・粟・黍・豆)断ちをして荒行をしていた山伏たちに、食糧と
して使用されるようになったようです。
そしてそれがやがて、一般の人にも普及していくことになります。特に江戸
時代江戸の町で屋台のそば屋が多く出来たことから、庶民の味として広がり
ました。
一口にそばといっても、基本的に胚乳だけを使用した「更科そば」(御前そ
ば)と胚芽・甘皮まで使用した「藪そば」(田舎そば)に分類することがで
きます。
前者は白く、茶をまぜて茶そばなどの変わりそばにすることもあります。後
者は黒っぽいそばです。更科の方が藪より一見高級そうに見えますが、胚乳
はほとんどデンプンのみなので、ビタミンなどの栄養がたっぷりあるのは、
藪の方です。
江戸にそば屋の屋台が最初に現れたのは寛文4年(1664)とされます。江戸時
代のそばは一般に二八(にっぱち)そばと言われていました。これは代金が
16文であったからとのことで、明治維新の時に24文に値上がりするまで、
ずっとこの値段が維持されていたそうです。
基本的にはそばは東日本で多く食べられ、西日本では代わりにうどんが食べ
られます。また西日本でおいしいそばに出会うのは難しく、東日本でおいし
いうどんに出会うのは難しいものがあります。これは西日本と東日本の境界
線探しのひとつの指標にもなります。