最近、花王の牛乳石鹸のWEB動画に賛否両論が集まっています。
見た方も多いと思います。

簡単に言うと、こんな感じです。

新井浩文扮する男性が出社前に家のゴミ出しをする場面。

今日は息子の誕生日なんですね。
出勤前に奥さんから頼まれた息子のためのケーキとプレゼントを買いに行くんです。

ふと彼は自分と自分の父親を比べて、

「あの頃の親父とは、かけ離れた自分がいる。家族思いの優しいパパ、時代なのかもしれな

 い。でも、それって正しいのか」

と思う。

そしてプレゼントとケーキを用意したにも関わらず、彼は仕事でミスをした後輩と呑みに行くん

ですね。

居酒屋では携帯に奥さんから着信が入るが男性はこれも無視します。

帰宅した彼に対し、奥さんは「何で飲んで帰ってくるかな」と呆れれます。

彼はそのまま風呂場へ行ってしまいます。
そしてこう思います。

「親父が与えられたものを、俺は(息子に)与えられているのか」

と自分に問うんですね。

 

風呂から出ると男性は奥さんに「さっきはごめんね」と謝る。
そして家族で息子の誕生日を祝い始める。

ここで画面が変わり、「さ、洗い流そ」とのキャッチコピーが表示されて終わりです。



どうでしょう?



正直、私はネットで炎上してからこの動画を見ました。

感想としては「いい話じゃないですか」という感じ。

たった2分くらいの動画の中に、一本の映画を丸々詰め込んだようないい出来栄えです。

新井さんの演技も素晴らしくて、ちょっと思い悩んだ平均的中年サラリーマンの雰囲気が
よく出てます。

なぜに批判を受けるのか?




この動画を批判している人の多くは女性のようです。

「今日が息子の誕生日とわかっているのに、ケーキを買ってきてほしいと頼んでいるのに、
 それなのになぜ後輩と呑みに行くのか?家庭を無視して不快!」

「行くなら他の日に行けよ。」

「最後にさ、洗い流そって、何を流すんだよ。意味わからん!」

ということらしい。


これね。
 

ある程度、歳をとった男性なら誰でも何となく意味がわかるんですよ。

女性がとても現実的である一方で、男性というのはいつまでも理想や憧れを追いかけるん
ですね。

ああ、女性がすぐに過去を切り捨てる、という意味ではないですよ。
女性にだって昔からの夢をあるでしょうし。

 

この動画には二度ほど、自分の親父の背中だけが出てきます。

肉体労働をしているのか、作業着を着ていて背中が汚れています。
その背中が振り返りもせず、家から仕事へ向かって出ていくシーンが流れます。

家庭よりも仕事優先でバリバリ働いていた父親を想像させます。


そして最後にもう一度。

風呂場で子供が父親の大きな背中をゴシゴシ洗っているシーンです。
 

この子供は新井氏扮する男性の小さいころですね。
厳しかった父親の背中をタオルで必死で擦っています。

怖かったけれど頼もしいお父さんと一緒にお風呂に入っているんですね。
お父さんが好きだったなぁ、という心情がすごく伝わります。


怖くて厳しかった父親だったけれど、自分には頼もしく憧れだった父親。

今の自分は息子の憧れのような存在になれているのか?という自分への問いかけですね。


理想とまではわからないが、立派に育ててくれた父親に自分が感じていたものを、息子
は自分に感じてくれているのか?

怒られていた後輩を慰めるために飲みにいったのも、頼もしく感じた父親のように自分が

振舞いたい、という理想からですね。

どうみても慰めることができたとは見えない感じにしているのも細かい演出ですね。

彼は父親に感じたような頼もしさが理想なんでしょうが、現実にはそんな頼もしさは自分には

ないし、そんなことを求められる時代でもない。

自分の理想との時代の移り変わりについていけていないんですね。

ゴミ出しを日課にしていたり、奥さんから気軽にお買い物を頼まれたりする優しい自分。
会社でも特に目立つわけでもなく、後輩と飲みに行っても大して盛り上がらない。

理想を思う自分と現実社会での自分の両方をちゃんと描いています。

彼もそういう自分のズレに気が付いているんですね。

だから最後はそんないろんな想いをお風呂で洗い流して、気持ちを入れ替えて家族がいる
ところへ登場するわけです。

子供の誕生日に飲みに行ってしまった自分の悪行を洗い流して無罪放免にしてもらおう、と
いう意味ではありません。

そして子供もまだ起きていて、家族で一緒にケーキを食べようとする。

画面はそこで切れますが、そのあと優しいパパに戻って団らんを過ごすのでしょう。

そこは画像にありませんが、奥さんが笑顔になって子供呼ぶことから想像できるわけですね。



これのどこが意味がわからんのでしょうか?

わからん人は多分一生わからんと思いますよ。



普段から映画や文学をどうやって味わっているのでしょうかね?

よっぽど細かい模写をしないと意味がわからない人っていますからね。

イイモンとワルモンがはっきりした漫画のような勧善懲悪な役配分でないと映画の内容を

理解できない人っているんですよね。

文学作品でも時代や場所、季節なんかもはっきりと描かないとダメな人っているんです。

昔の有名作家の作品なんか、文中にほとんど説明なんてないですからね。
文脈の中から人間関係や感情、情景を読み取るわけです。



わかりやすい例でいうと、松尾芭蕉の一句。

「古池や 蛙飛び込む 水の音」

というのがあります。

この句で何を感じるのか?

「古くて情緒感じる池があって、そこへ小さなカエルがぴょんと跳び込む。そのチャポンという水の音がなんともかわいく聞こえて、なんかわからんけど風情があるなぁ・・・。」

なんてことではないんですよ。


これはね。

小さなカエルが跳び込む音が聞こえるくらい周囲が静かだ!ってことを言いたいわけです。

そして詠む側に、シーンと何も音がしないほど静かな池の前にたつ自分を想像させることが凄

いわけです。

おそらく当時の松尾芭蕉はそれを俳句に表現する自分も素晴らしいし、それを感じる詠み手

側も「凄いじゃん、君!」と言ったことでしょうな。



この牛乳石鹸のCMはたった2分間の動画の中にとても複雑な心理を詰め込んでいます。

素晴らしい。


はなまる、あげます。