親子鷹、父子鷹なんて言います。
そもそも小説の題名ですが、親子が同じ目標に向かって一緒に頑張るとか、
ともに優秀な素質を受け継いでいる親子なんかのことを指します。
日本で人気のスポーツである野球、サッカー、バレーなどの球技、それから柔道、
レスリング、ボクシングなどの格闘技なんかに親子鷹をよく見かけます。
中高生の選手を全力サポートする親たち。
そんな風景です。
そういう親子に密着取材して「次のオリンピック候補!」みたいにテレビで報道して
ますね。
もう小さい頃から親でありコーチであり、もちろんスポンサーなんですね。
子供の練習のためにお金と時間とたっぷりと費やし、子供もそういう親の期待に応
えようと頑張るんですね。
同年代の選手たちとは異次元レベルの逸材選手もたくさんいます。
でもなんかちょっと違和感を感じるんですね。
親子が揃って同じ目標に向かって進む、ということはいいんです。
でも親が自分の思いを達成するために子供を使っていないか、という疑問もあるわけです。
子供は嫌々やっているわけではないし、それなりに頑張ってるいて、ちゃんと結果も
出してます。満足している様子なのだけれども。
もしかしたら、子供には他の才能もあったのかもしれない・・・。
でもここまで親が張り付いていると、他の選択肢を選ぶ自由も余裕もないんじゃないかなぁ。
最終的には他人の家族のことだからどうでもいいんだけどね。
もし怪我をして競技を続けられなくなったときに、子供たちは他の人生の選択肢を自分で
選べるのだろうか?
そして親たちのモチベーションはちゃんと整理できるのだろうか?
それともう一つね。
やはり世界観や視野の狭さが気になるんです。
全てがそうとはいいません。
しかし、やはり寝起きや食事を共にし、学校に行っている以外は練習も含めてすべてが
一緒というのはちょっとあまりにも世間が狭い。
もちろん友達と遊んだりすることもあるかと思いますが、他の子供達よりもずっと時間が短い。
自分が住んでいる町だけがその競技をやっているなら別ですがね。
地方、日本、アジア、世界、行く先はどんどん広いのです。
世界には自分の知らない多くの強豪たちが散らばっていて、さらに優秀な指導者もたくさん
散らばっているんです。
同じ競技でも違ったアプローチの仕方をする選手や国もあるでしょう。
正解はひとつではない、ということを知ってほしいんです。
知っているのと知らないのではエラい違いです。
先日のWBCなんかそうでしたね。
世界の野球はアメリカ式と日本式の二つの戦いです。
一人ひとりの選手が野球という競技を深く理解しているのが日本式です。
でも「動くボール」には対処できなかった。
同じ野球なのに動くボールのあるアメリカ式と、それがない日本式。
これは知らなかったからというよりも知っていても対処できなかった、という方が正しい。
今年1年間ぐらい日本のプロ選手が全員アメリカでプレーするくらいじゃないと、いつまで
たっても「動くボール」には対応できません。
世界で戦うならそういう経験が絶対に必要だということです。
ま、そんなことでひとつ・・・。