哀愁「痛快に罵倒を試みたことに、無限の哀愁がある。それは・・・罵(ののし)らんがために罵つたのではない、・・・天下の危急を見て、救ひの手を絶叫してゐる・・・(中里介山、『大菩薩峠』)大震災以降、政治について罵詈讒謗(ばりざんぼう)を極めたい。しかし黙している。それがここまで追い込まれていることの悲しみの現れにしかならないからか。しかし黙してひたすら手足動かすなかにも哀愁がある。