以下 http://mage8.com/magetan/roushi03.html より引用

原文
曲則全、枉則直、窪則盈、敝則新。
少則得、多則惑。是以聖人抱一、爲天下式。
不自見故明、不自是故彰。不自伐故有功、不自矜故長。
夫唯不爭、故天下莫能與之爭。
古之所謂曲則全者、豈虚言哉。誠全而歸之。

書き下し文
曲(きょく)なれば即ち全(まった)し、枉(ま)がれば即ち直(なお)し、
窪(くぼ)めば即ち盈(み)ち、敝(やぶ)るれば即ち新たなり。
少なければ即ち得られ、多なれば即ち惑う。
ここを以(も)って聖人は一(いつ)を抱きて、天下の式(のり)と為る。
自ら見(あらわ)さず、故(ゆえ)に明らか、
自ら是(よし)とせず、故に彰(あら)わる。
自ら伐(ほこ)らず、故に功あり、自ら矜(ほこ)らず、故に長(ひさ)し。
それ唯(た)だ争わず、故に天下も能(よ)くこれと争う莫(な)し。
古(いにし)えの謂(い)わゆる曲なれば即ち全しとは、
豈(あ)に虚言(きょげん)ならんや。誠(まこと)に全くしてこれを帰す。

*****************************

一見すると遠回りのように見える曲がりくねった
苦労の経験があるから人間は磨かれ完成する。
苦難で曲がるからこそ真っすぐに伸びる努力ができる。
苦労で凹んだ空間は愛情や忍耐力で満たそう!
敗れればこそやり直し、さらに強くなり復活する経験ができる。
財産などなく欲に目がくらまなければ、
他の本当の真理に気づき成長できる。
だから道(真理・良心)を心に抱く聖人は世の模範となる。
自ら目立とうとしないからこそ広く知れわたり、
正当化しないからこそ高く評価される。
誇らないからこそ功績を称えられ、自慢しないからこそ長く認められる。
そもそも聖人は誰とも争わないので、誰も聖人とは争うことができない。
古くから言われる「曲がる経験があるから人は磨かれ完成する」とは、
全く正しく嘘ではないのだ。
なぜなら、誠(良心から)の努力こそが人生を完成させる原因なのだから。