あんまり実の父親の話に触れたことはない。
20歳の時に鉄十郎師匠の内弟子となってからは、鉄十郎師を父親だと思っていたし実際「おやじ」と呼んだりもしていた。
和佐次朗師も父親であり、忠五郎師も父親である。
こんな色濃い父親が三人もいたら、実の父親の影は薄くなる。
僕は両親に冷たかったと思う。
近い存在ってのはどーもね。
仲の良い親子を見ると羨ましい。
ていうようになったということは、少しは優しくなったのかも知れない。
今なら、一緒にお酒を飲んでもイライラせず穏やかに両親のことを見てられるのではないかと思う。
面倒なのは「産んで育ててくれた」ということを当たり前と思っているフシがあるからな僕には。
ありますね、でもそれが「ありましたね」に変わりつつある。
ありがたかったなと。
このおっさん何言ってんのかと思うかも知れないけど、そうなんだから仕方がない。
やっと感謝が湧いてきた感じなのだ。
これも還暦リセットのおかげかもしれない。
親父はお袋が亡くなった九年後に亡くなった。
今日で丸20年経った。