3月に行うはずだった「かめあり亭50弾 立川志の輔独演会」。

600のチケットが完売していて延期になり、1300の小屋に移動してソーシャルディスタンスを守っての開催となりました。

主催者側の熱意が感じられますね。

そしてお客様もちゃんとお運びくださって。

 

3月21日の高座から一度も落語をしていなかった志の輔師匠。

ま、してなかったからどうだということは無いのですが、やっぱり心持ちが違ったでしょうねぇ。

「100日ぶりなんです」と舞台でおっしゃってるのを楽屋で聞いて、「なぬっ、俺はいつぶりだ?」と計算したら

3月1日の「おさらい会」以来で122日ぶりだということがわかった。

着物着るのも、舞台用の三味線弾くのも、お客さまの前に出るのも122日ぶり。

ま、だからと言って独特の緊張感があったかと言えば一切ない。

 

というのも。

「僕だけが」というのではないから。

師匠も関係者も、スタッフも、お客様も、みーーんな。

みーーんなだから。

 

久しぶりの「志の輔独演会」ということもあって、スタッフは志の輔チームが集まり、お囃子も、僕か鉄六のどちらかでなく、二人いて、更に笛の美沙輔さんも来てもらうことになった。

楽屋入りから、あまりの久しぶりにマスク越しに顔を見合わせキャッキャしながら近況報告である。

「どーてたーー?」「太ったーー、キャーーー」「やせてなーーい、キャーー」「こんなに遠出したの久しぶりーーー、キャキャーーー」

舞台袖でMさんとAさんのやりとりも、いつもなら「またかまたかーーー、はじまったかーー」と思うが、今回ばかりは懐かしい。

「うんうんそうそう、それでいい。お互いに好きなこと言ったらいい」

なんだか人間が大きくなったかのように、包容力が出てきちゃって。

人と人がそこの空間に存在して、会話しているしていることがほのぼのする。

 

「梅は咲いたか」を弾く。

師匠が舞台に出ていく。

後ろ姿を見ながらいつものように弾く。

大きな拍手。

ても1300の小屋に600の拍手。

足りてないような充分満ち溢れているような。

師匠が客席をゆっくり見上げる。

何を感じとってるんだろ?

ゆっくり高座に上がっていき座り頭を下げる。

いつものように始まった。

いつものようにがありがたいなと思った。

 

「テツクロさんも出てくださいね」

本番前に言われてた。

なんとなく「多摩川」は弾こうかなと思ってた。

「え?大薩摩やんないんですか?」と鉄六が。

「久しぶりだから大薩摩やったらいいのに」

なるほど、大薩摩なぁ。

じゃ、大薩摩やって降りてこようかね。

 

休憩開けに出番。

板付きでスタンバイ。

合図があって弾き始めると幕が開く。

いつものとおり。

お客様の顔が見える。

ほほぉ、一列ずつなんだ。

各列とでも言うのですかね、自分の前後の列の人がいないということなんですね。

隣の人とは仕切りがついてて。

みんなマスクしているのは、もう自然に受け入れられますね、昨今は。

マスクしてない人見るほうがドキッとするもんね。

 

喋り始めてわかった。

お客様の表情がわからないんだ。

マスクだから。

そして、自分がいつもお客様の表情を見ながらやっているんだということに気がついた。

演者に二種類の方がいるでしょうね、見てやってる方と見てるけど気にしない人とね。

でも、だんだん見慣れてくる、するとマスクの上からも表情がわかってくるのが不思議だ。

なんでも慣れなんだなぁ。

三味線の調子はいい。

会場も申し分ない音響だし。

楽器が喜んでる。

舞台降りたとき、クタクタになってるのを感じた。

一言で「疲れた」

なんかめちゃくちゃ吸い取られた感覚、なんなんだろ?

これが舞台というやつだったのかな。

122日は長かったんだなぁ。

 もちろん心地よい疲れでした。

 

会場の半数のお客さんでということで再開したエンターテインメント。

このままなのか?将来的にはどうなるのか?

誰かが知っているのか?

これからの様子見なのか?

 

とにかく真っ只中にいるってことはわかってます。

みんなが真っ只中。

どういう未来が待っているのか、作られていくのか。

 

不思議な感覚が残った公演でしたが、とてもとても楽しかったです。

なんだか久しぶりにスカッとしたような。

 

 

楽屋で写真撮ろうと。

こんなことも珍しい。

なんか当たり前のことが当たり前ではないとみんなが知ったからなのかも。