2月23日日曜日。
コロナウィルスで、色々な公演の取りやめが発表され始めた。あれよあれよと言う間に。
「長唄の会」にも問い合わせがあった。
「え?」と思った。
でもその後すぐに、「そーかー」と合点する。
こんな小さな会だからと思っていた自分を恥じた。

そういうとこある。
つきつめると「自分なんてさ」と、どこかで思ってるということだろう。
卑下するのは悪いこっちゃない。
でも「卑下すること」=「こんなもんでいいや」と思ってるとこある。
これがいけない。
仲間にもお客様にも失礼だ。
だから誇りに思うことにする。

「誇り」に思うことにした。

2013年に初めた「長唄の会」。
庭村くん、勝利くん、半田親子、鉄六に鉄七。
このメンバーでたまたまやってきたわけではない。
みんなが協力してくれて、賛同してくれてここまで来られた。
俺が舞台のことだけ考えればいいと尚雅堂がチケットやお金関係を一手にやってくれてる。
鉄八や鉄駒、朋子センセーが時間を割いて手伝ってくれる。
このメンバーが「長唄の会」。
だからやってこられたし、これからもやっていける。
これを誇りに思って悪いわけがない。

永谷商事が小屋を貸してくれる。
お客様がいらしてくれる。
楽しみにしてくれる。
「誇り」はここにもある。

お囃子を入れようと思ったことも「誇り」の考えからで。貴音さんに「あのさぁ」と相談した時に「やりますやります」と言ってくれたから。
なんでも言ってみるもんやなーーと思った。
ゴロンって何かが動いた瞬間だった。

一曲目「操三番叟」のスタンバイで、囃子方が前に並んだとき、「これは『誇り』やなー」と思った。

「良かったら、お時間ありましたらいらしてください」から「時間作っていらしてください、見逃さないでください」っていう風に変わったんだなと。

タテの昌恵さんの声が、いつも良いんだけど、なんか余計に良かった、「おおさえおさえ」のとこドキッとした。なんかまっすぐな、「心、ここにまっすぐです」みたいな。

「岸の柳」
鉄七がうまくなった。
上がったな、腕が、やっとだ。
芸は時間かかるというがなぁ。
まぁ、人のことは言えないけど。
俺よりはかからなかったのは良かったけど。
「一つ前進」だな。
これからもう一つ行けるか、あきらめてしまうかだな。

「多摩川」
てーそんさんとPARCOの楽屋でちょいと浚ってから、工夫してるし、勉強してきた、てーそんくん。
ま、当たり前なんだろーけど、それが奥んとこにあるから揺るがない、歌が揺るがない。
揺るいだのは僕だ。
頭から入れなかった。
これが悔しくてたまらない。
けど、限界なんだろう。
三曲続けては弾けないことを、はっきりと認識しないといけないのだろう。
加齢と言えばそれまでだが。
加齢と付き合っていかなきゃならない。
集中出来なくなったのを知ってしまったんだから、あきらめるしかない。
あきらめるのも「誇り」の一つだ。

勝利くん、カツトシとは楽しい。
幼なじみと遊んでるみたいに。
アイツは突っ張ったようなことを言うが優しい。
五つ年下で若い時から生意気なヤツだったが、何より優しい、わかってくれる。
なんでだろ?
俺が、おまりにも人の痛みがわからんボンクラなんだろーな。
合わせるのがうまい。
うますぎて「合わせてくれてる」ことを忘れてしまうくらい。
ずーーっと弾いてたいと思うもの。
若い時に職場が一緒だっただけで、それぞれ違う三味線の世界にいる。
まるで、年に一度集まって飲む、卒業した学校の友達みたい。
こんな感覚を味わえるのも歳を取ったからなのだろう、ありがたい。

「綱館」
助けられたというのが本当のところだろう。
入りきれなかったし。
てーそんくんはやりにくかったんじゃないかなぁ。
もっと聞けたはず、もっとてーそんくんの歌を言葉を心を聴けたはずだ。

でも結果的にそう思うだけのことかもしれない。
聴けたとしてもさして演奏は変わらないはず、僕の中だけのことだろうとは思う。
だって、歌も三味線も囃子もしっかりしているんだから。堂々と演奏してくれているのだから、僕はそれを誇りに思って真ん中に座ってるんだから。

ここでしか、今日しかできない「綱館」だった。
スカッとしたし、身体に入ってる音楽が出来たとは思っている。

しかし、鉄六も上達した。
正月の会の時に上手くなってて驚いたがなぁ、人は伸びるときには伸びるもんだ。

しかし、長かったなーーー、もーーーっ。

もーーーーーーーーーーーーーっ!!!!
言うくらい長かった。
待ちくたびれて、「あれ?なんだっけ?」と忘れたころや。
スイギアンでタテ弾いてるからだろーな。

うまくなるには人前で弾くのが早道であるということはみんな知っている。
それによってあと二つ近道が出来る。
「責任の取れる」人前で弾くこと。
簡単に言うと自分が主催でライブをやることとかね。頼まれて舞台をやらせてもらうとか。

もう一つが「責任の取れない」人前で弾くこと。
つまり「出来て当たり前」のとこで弾くことだ。
これがシンドイ。
「間違えてしまいました、てへ」がきかない。
間違えてもらったら困るんですもの。
つまり僕らで言うと踊りの地方とかです。
主人公は踊り手の方、僕らはサポートメンバー。
間違いが許されるのは主人公だけです。
「許される」というか、間違える「価値がある」人かな。僕らはいつもどーりに演奏する。
間違えたところで責任取れないんです。
主人公に取ってもらうしかない、これはいかんのです。

鉄六の場合、スイギアンで弾くことでここが養われたんだろーな。
六も七もこの調子で行ってくれよ、とにかく。

もちろん、ここに書いたのは「近道」であって「そうでなくてはならない」ことではないですからね。



お囃子さんが入ることで、「一番太鼓」と「着到」をやってもらおうと思ってました。
「一番太鼓」は開場するときがいいかな、30 分前。
「着到」は15分まえだけど10分前くらいにしよっかなと。
で、やりたかったこと「着到」の太鼓。
間違えちゃったけろ、へへへへ、責任取れないというか、おんぶに抱っこだからね、甘えさせてもらいました。

お客様たち、ぜひとも30 分前にいらしていただいて「一番太鼓」「着到」も聴いてくださいませ。
「長唄の会」は開場時から始まっています。




鉄七が撮ったので、写ってないのが残念だが、今回の出席者。
あれ?
今気がついたが、男はオッサンが三人のみなのか!
そっかー。

囃子方は、もう後輩も後輩、子供くらいの年代ですね。
この子たちが、この場所で何を感じ何かを学ぶことが未来にちょっとでも繋がったら鉄九郎の役目はオッケーということだなと。

そして、ウチの弟子が、いやそのまた弟子が、彼女たちに世話になるかもしれない。
この連続よ継続が伝統だったり伝承だったりする。
この歯車に自分も入ることができたのが何より嬉しいし「誇り」ですね。

今年は還暦。
一回りって、つまり、1960年と同じ歳まわりってことですね「庚子」。
かのえの子年に僕は生まれた。
今はいないが父母は喜んだ、今はいないが祖父母も喜んだ。僕は覚えちゃいないが、確実にその時はあったことが信じられる。それを「誇り」に思って生きて良かったわけなんだから、もっともっとそう思ってやってこーーって、強く思った「長唄の会」でございました。
長々読んでくださりありがとうございました。