福島の青い空 コメント

 

 

絶望爺さん 

 

街でチンピラに殺されることも裁判官から死刑判決を出されて殺されることも、人に殺されることは同じである。違うという人の反論を聞いてみたい。

 

裁判官の死刑判決は看守や死刑執行の関係者がいることから

チンピラに殺されることよりも影響が深刻である。

どうせなら、アメリカナイズしないで裁判官が直接死刑を執行すればいい。

 

法の正義に基づいて、死刑執行は厳粛に行われるという。正義だか厳粛だかよくわからないが、目には目をの時代と大して変わらない。

 

裁判官はやり切れないだろうなあ。因果な商売だとは思っても、社会を正し法の正義を実行する、などと思っている司法関係者は誰もいないだろう。

 

やっぱり夢に出てくるんだろうな。麻原や何やらが毎晩出てくるんだろうな。

 

人殺しが日常業務では、いかに法務局でもつらいだろうね。

裁判官もつらいだろうと思いますよ。

 

家に入る前にクンクン体の臭いをかいだりして。

 

なんでこんな商売があるのでしょうね。

 

スケベをはたらいた女性の処刑のために、石をぶつけていたサマリア人たちに向かって、イエスは自分に罪がないと思う人たちだけが石をぶつけろ、と言いました。

 

そしたらサマリヤ人たちはみんなやめて行ってしまいました。

 

イエスは女性に向かってこう言いました。

シケベしたいからと言って、やたらにシケベしてはいけませんよ。と諭しました。

 

この世は女性がシケベしたいと思っているから成り立っているのである。シケベの元凶は女性である。人類の名においてイエスのとった行為は正しい。

 

こういうすごい思想を発表すると、このブログの読者はすごいことになって、フロアー数もすごくなるんだろうな。命を狙われるようになったりして。

 

アイアイサー。とマリアは答えました。ヘブライ語では何というのだろう。イエスの母の名もマリアと言います。このマリアは赤の他人です。マグダラのマリアと言います。砂漠の人の名はややこしいね。

 

ひるがえって裁判官たち、法務局の職員たちのことを考えよう。

 

彼らは法の執行を何の屈託もなく、ルーチン業務として行っている。慣れっこになって、何にも感じないらしい。

 

昔、南ベトナムで軍の将官が、無造作に女性の頭に銃を突き付けて、射殺するところの映像を見たことがある。あれである。

 

裁判官の心境も、法務局の職員も、死刑執行の時にはああいう心境なんだろうなあ。と思った。淡々とことさらに無表情を装って職務を執行する。いやだろうな。

 

俺ならどんな顔をしていいのかわからない。

 

この時ばかりは身の不運を呪ったのではないだろうか。

 

東大法科を出て裁判官になって、いわば極官になって人殺しをやっている、因果な商売だなあ~。

 

夢に出てくるんだろうな。俺なら神経が参ってしまいます。

 

高裁長官は天皇陛下から認証されます。「よろしくお願いします。」とか「頑張ってください」とか言われんだろうな。

「頑張ってください」とは言われないかな。

 

そういえば、認証式の直後に、新聞記者と麻雀をやっていた検事長がいたなあ。逮捕されたのかなあ~。逮捕されてませんか。

 

ダメだだめだと国から便りとか、親の因果が子に報いとか、与太を並べて麻雀やってたんだろうね。

 

謹厳な顔してるからさぞや石部金吉なんだろうなと思われても、アニハカランや新宿のにゃんにゃん屋の廊下で倒れて居たりして世の中うまくいかないね。

 

※今度福島の青い空は「絶望爺さん」というジャンルをこさえました。よろしくどうぞ。主義主張を変えたわけではありません。今まで隠してきたことを表にだしていくだけです。

 

基本、世の中には何も期待しない。何も信じない。80歳のホンネで生きるということです。切り口が変わったでしょう。