安定した社会をめざして(9)
連日津波の話である。今日は加藤綾子まで南三陸町に行っていて
現地で報道だ。食後の1時間を家族のだんらんで過ごすことができなくなってくる。南三陸町役場で殉職した遠藤未希ちゃんのことをやっている。
早々に逃げ出した。挙式前に遭難した話など聞くとブログが書けなくなってくる。確かに南三陸町に津波は似合わない。わたしもなんどか行っていて志津川湾の夜景の美しさに魅せられているひとりである。
幸せと不幸せ
昨晩はテレビで千昌夫が北国の春を歌うからといって茶の間に呼ばれた。家人は台所でガサゴソしている。私は一人で見ていた。
一番先がさだまさし、つぎが工藤静香、森山直太朗、佐藤宗幸で、
いずれもパス、音声を消す。しばらくニワトリのあくびのような場面が続き、5番目にやっと千昌夫が出てきた。まことにこの世は生きづらい。
え~と震災の年の紅白以来だったと思う。たかだかと、朗々と歌ったね。声ののびがすごい。この声を維持するのは並大抵の努力ではない。この10年の彼の努力がよくわかる。陸前高田のために生きてきたのだ。
10年ぶりの北国の春はよかった。あとはニワトリのあくびだった。
さて、幸せと不幸せについて考える。あくまでもっ地球の回転から考える幸せと不幸せのことである。
地球が宇宙全体の調和のことを考えて回転してるということは先に検討してきた。地球や我が銀河系が他の天体とぶっつからないように、ある一定の調和のなかで存在しているということだ。
そうやたらにぶつかっていたんでは、銀河系も宇宙も太陽も存在できない。
そういう調和の法則から見れば、安倍や菅や自公民党の在り方は醜いね。今だけ金だけ自分だけだもんね。腐臭ふんぷんでしょう。
安倍政権のこの7年8か月はまさに今だけ金だけ自分だけを追及される7年8か月でしたね。
菅政権も、最初から今だけ金だけ自分だけですね。菅正剛、すごい名前ですね。あまり立派な名前は付けないほうがいいという見本になりました。
バンドをやめ、政治家の秘書になって、官僚に酒食の接待した人など、本邦初ではないでしょうか。秘書時代ももっとアコギなことをやっていて、たとえば菅一族の後始末係りをやっていたりして、これから旧悪を暴露される思いますよ。
人間落ち目になると、何されるかわかりませんね。
長男が悪いことをしてるのに、一向に菅首相はやめませんね。自公民党の選挙には絶対影響がないと見切ってんでしょうね。
自公政権はそんなに盤石なんですかね。選挙民をなめてはいけませんよ。官僚とズブズブ、業者とズブズブ、NTTとズブズブ、それはいくらなんでも国民は抵抗しますよ。政治になっていないでしょう。
安倍政権が地球の回転から見て不都合として、コロナが派遣されました。それであえなく放逐されてしまいました。あれは地球の意志です。それ以外考えられません。他に考えがあれば教えてください。
私は社会の行為も人間の行為もすべて偶然ではないという立場をとってるものです。すべて自然はある一定の法則によって動かされていると思ってんです。
そんな法則はあるはずがない、すべて偶然だといったのは東電の武藤副社長という人です。地震も津波もすべて偶然の結果だといいました
地球の回転も、我が銀河系もすべて偶然で回ってんですという意見で、津波も地震も単なる偶然の自然現象だという考えです。
要するに偶然に起こることには対処しようがなく、何したってしょうがないというんです。したがって、自然災害には対処しないという考えでした。要するに原発が壊れるほどの災害は来るわけないと思っていたわけです。
この判断で武藤副社長は地球上から抹殺されました。
武藤栄 元東電副社長 1950年~
安倍晋三 元首相 1954年~
武藤副社長は栄光の61年間の恵まれた幸せな時間を過ごしました。技術屋としては頂点に立ったわけです。頂点から真っ逆さまになって叩き落ちてしまいました。もう世間では相手にしません。残された時間は幸せとは思えません。
安倍晋三も親父のかばん持ちになり位人臣を極めましたが、幸せは続きません。コロナと一緒に奈落の底に落ちてしまいました。コロナを呼び込んだ張本人になってしまったんです。
先が読めなかったからです。コロナなどありえないと思っていたわけです。自分は死ぬまで幸運なんだというわけでした。コロナにびっくりして首相もやめてしまいました。打たれ弱いんですね。
コロナとは不幸を呼び込むんです。麻生も言ってたじゃないですか。オリンピックって縁起が悪いんだよなあ~。オリンピックっつうのは縁起が悪いんです。人と争う競技だからです。
人と争う競技などはろくな結果にしかならないんです。
結局ウソと賄賂で誘致したオリンピックといわれ、歴史に残りました。武藤も安倍も不幸せの極みです。不幸せと思っていないところがもっと悲惨です。
結論から言うと、人の幸不幸は相半ばするということです。嘘八百を並べ我が世の春を寿ぎ、人として頂点を極めても残る半生は悲惨な状態になるときもあるということです。将来石川五右衛門のようだと言われることでしょう。
ひとの世の幸不幸はヒィフティー・ヒィフティーといわれゆえんです。だから成功者といわれて名声を得ても、いかに社会的に成功して金持ちになっても幸せとは言えないゆえんであるわけです。
成功と幸せは関係がないんです。
宮沢賢治も石川啄木も、ゴッホも生前は名声もなかったし、本も一冊も売れませんでした。ゴッホの絵はたったの1枚だけ売れましたが、それもどこにいったのか消息がありません。
幸せになろうと思うと不幸になります。幸せとはそういうものです。
ごくごく平凡が一番いいんです。武藤栄と安倍晋三を例にとって説明してみました。