福島の青い空(548)



白河紀行(2)


白河小峰城

白河の関跡の帰りに白河小峰城に回った。

立派な城で、石垣も大変なものである。私はことのほか石垣が好き

で、どこのお城でも石垣を見ると時間の確かさを感じられて心が落

ち着く。石垣を見て心がざわつく日本人はいないだろうと思う。

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石垣は無機質だから触ると冷たい。でも石垣を眺めて冷たさを感じ

る人はいないだろう。歴史はなぜか温かいのである。

この石垣は東日本大震災で崩れ、最近になってようやく修復が終わ

りました。

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やっと出てきました。白河城三重櫓です。1991年復元された。

木造で忠実に復元されたという。

およそ、復元された建造物は、白々しくて共感が持てません。新し

いせいなのかな。100年も過ぎると時代にマッチしてくるのかも

しれません。

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私は最近になって復元された建造物をあまり重視していない。

市民達のたっての願望らしいが、建造物を作ったから、その城跡が

かっての面影を取り戻すとは限らない。遺跡はきちんと手入れされ

て、清潔であればいいと思う。それが歴史に対する日本人の心で

あってほしい。

故に、お城を復元させたいなどという人たちを信用しない。

怪しい奴らだと思っている。

そういういわゆる目端が利く輩は必ず出てくる。のほほんとしてい

る人らをだまして、金もうけをたくらむ奴らである。

白河市民たちがこの三重櫓を見て、ああ、おらがお城は立派だ~

どというはずがない。

鶴ヶ城もそうだ、復元された鶴ヶ城を見て喜ぶ会津藩士の末裔はい

ない。喜んでいるのは、これで新しい観光資源ができた、などと

いって金もうけの算段をしている人たちである。会津藩に何の関係

もない人たちである。

会津藩に何の関係もないから、終戦後、城跡を平らにして、競輪の

バンクをこしらえ、会津競輪として、城跡がとばく場と化した過去

がある。そんなこという人はだれもいない。

私は昭和30年ころ、城跡に行ったことがある。底が低いすり鉢状

でアスファルトのバンクがあった。まだ競輪をやっていたが当日は

休みだった。

会津の人たちは口拭ってしらばくれている。恥ずかしいんだ。

白河小峰城は三重櫓がいささか目障りだが、石垣が風格があって、

史を感じさせているのがいい。やはり史跡は歴史を感じさせてく

れるのが一番である。勘違いしている人がいるので困る。

三重櫓を復元し、観光資源に活用してなぜ悪い、という人がいる。

そういう人にはこの歌を送りたい。


かたはらに秋ぐさの花かたるらく  
   ほろびしものはなつかしきかな  牧水

明治43年秋歌集「路上」所収、

小諸城址の城壁に歌碑が埋め込まれている。牧水は超一流の詩人と

言える。

詩人とはものごとの本質を見通し、時代を越え、普遍的なものを表

す人たちです。百年たったら、人から見向きもされなくなったとい

う作品は芸術でありません。分かりやすくいうと土井晩翠の荒城の

月です。

春高楼の花の宴
めぐる盃影さして
千代の松が枝分けいでし
昔の光いまいずこ

代が移り人が変わっても次代に歌い継がれてゆきます。漢文調で難

しい言葉もありますが、人は歌い継ぐことをやめません。

曲もいいが詩がまたいいんです。過ぎ去った時代に対する鎮魂の歌

からです。どんな歌でも鎮魂の意味がない歌は歌い継がれませ

ん。一発屋で終わりです。

世を風靡した一発屋の歌はずいぶんあります。

土井晩翠は鶴ヶ城でこの「荒城の月」の構想を得たと言っていま

す。あのふるさびた苔むす石垣がこの曲を作ったんで、今のご立派

天守閣を見たら、晩翠も腰を抜かしたでしょう。火をつけるかも

しれませんよ。



パンフレットをもらってきたから見せる。

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