≪ブーメランのように≫・・アルプスを越えて・・年末のドロン作品②    1976年度作品 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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ご訪問ありがとうございます。

今年77歳の映画好きでございます。

懐かしい名画、最近の気になる映画のことを
日記形式で書いています。
戦前のフランス映画が大好きです。
基本、鑑賞後の感想ですのでネタバレが殆どです。
ご了承くださりませ。

    ≪ブーメランのように≫

 

いつもご訪問いただきましてありがとうございます。

 

年末はアラン・ドロン作品をということで、投稿しています。

 

今日は、娯楽作品というにはあまりに切ない父と子の

 

悲劇のストーリーである

 

1976年度作品 ≪ブーメランのように≫を

 

取り上げましょう.

 

息子を救うためブーメランのように暗黒街の世界へ

 

舞い戻った父親の憂いと孤独。

 

美しくも哀しい父の愛がパリ、アルプスを駆け巡る...!

 

 

簡単なストーリー

 

暗黒街から足を洗って十数年。

 

ジャックは今は実業家として大成し、毎日忙しい日々を

 

送っている。

 

再婚した女性と先妻との息子の三人暮らしである。

 

息子は父親に構ってもらえない淋しさから、

 

富豪の双子の息子達と危ない遊びに加わった。

 

初めて、マリファナというものを嗅がされ、

 

意識が朦朧としていた。

 

兼ねてより目をつけていた警察はこの夜に限って

 

この邸に踏み込んだ。

 

ライトを当てられ、怖くなった息子は近くにあった

 

ライフル銃で当てずっぽうに撃った。

 

その弾が警官に当り、死なせてしまう。

 

これが、

 

逮捕された息子に面会したジャックの聞いた,事件の真相だった。

 

 

子供達の犯罪が急増したパリではこういった事件には、

 

世間の同情は薄く、裁判所も厳しい目で見る。

 

ジャックたち親子は不利であった。

 

 

予審判事も全く同情の余地は見せなかった。

 

ジャックが暗黒街にいたころ、投獄された時の弁護士とは、

 

今は親しくしており,彼の顧問弁護士でもあり、

 

今回の事件を相談,引き受けてもらった。

 

 

しかし、彼の意見もやはり、状況は難しいという事であった。

 

ジャックは被害者の妻に詫びに出かけ、その後、

 

息子の罪の減刑の嘆願書を依頼する。

 

 

礼儀正しいジャックに一度は快く受けた警官の妻だった。

 

しかし、そういった中でジャックが昔,

 

暗黒街に身を置いていた事が報道され、

 

それを知った被害者の妻はそれを断ってきた。

 

 

冷静に、弁護士と相談するも四面楚歌だった。

 

息子は留置場の中で、ある犯罪者から父ジャックのことを

 

知っているといわれた。

 

ジャックはあるとき、

 

父が暗黒街の顔役だったことと、

 

仮病...精神異常という仮病を使って、

 

減刑に成功したという話を聞かされ、

 

父親を英雄のように思ってしまう。

 

息子は父と同じことをやってしまった。

 

しかし、父はその道の酸いも甘いも知っていた男であったし、

 

その卓越した判断力は並外れたもの、

 

息子にはそんな芸当は無理であった。

 

それは、また息子の心証を悪くすることを幇助する結果と

 

なってしまった。

 

どうしてでも息子を助けたい。

 

息子は初めて,たまたまあの夜だけあの邸にいて

 

犯罪に巻き込まれた.. が、

 

一度押された烙印が邪魔をし、

 

自分の為に息子は死刑に処せられる。

 

そんなことは絶対に許さない...とジャックはある決心をした。

 

昔の仲間に連絡をとり、現在の全てを捨てて、

 

息子を助ける事だけを考えた。

 

それは、昔の仲間の手を借りて息子を脱獄させる事だった。

 

そして、親子ふたりアルプスを越え、イタリアに逃げる事だった。

 

例え,一生身を潜めて暮らすことになっても....・

 

 

妻はそんなジャックに動ずる事もなく、

 

弁護士に言った。

 

   ”わたしも一緒にアルプスを越えたかった”と...

 

車を飛ばし逃げる親子を警察は車とヘリで追い、

 

テレビの生放送でも伝えられた。

 

山に逃げ込んだふたり。

 

ヘリで追う警部は見つけたら射殺しろと命じた。

 

森を抜ければ、国境は二百メートル先だ。

 

 

そこは草原でヘリから丸見え。あああ夜になるのを待ちなさいと

 

わたしは画面に向かって訴えているのですが・・・

 

 

 

 

しかし、親子は手に手を取って真昼の草原を駆け抜けた。

 

さわやかな風を受け、ふたり笑いながら....

 

ヘリは真上に来ていた....

 

★息子は13,4歳だろうか・・?

 

現実のアランの息子とほぼ同じ年だったはずだ。

 

だからこの作品の父親の愛というものが現実と重なって

 

なんとも憂いを帯びていたと記憶する。

 

彼は、暗い過去を背負った男の憂いと、孤独を

 

 この作品でも見事に演じている。

 

孤独と憂いはどの作品にもあるのだが、

 

作品ごとに違う香りを漂わせてわたしを飽きさせないものは

 

なんなのだろう??

 

アルプスを疾走する親子のラストシーンに重なる

 

 

ジョリュジュ.ドリューの哀愁の旋律は忘れられないものと

 

 

なった。

 

ドロンさんの作品のサントラをCDに詰め込んでくださった方が

 

いらして、今でも流して聴いています。

 

この作品のサウンドも、聴く度に画面と共にアランの哀愁に満ちた顔が

 

脳裏を横切ります。

 

ドロン作品に関してはもう,私は殆ど病気ですね。

 

ドロン病です。ハハハ!!

 

 

ざーッと流したストーリーではありましたが、

 

女性との愛よりも男性との友情を重んじるといつも言っている彼の言葉ですが、

 

息子への愛は当然の言葉ながら、それ以上に深く、

 

命を投げ出して,全てを投げ出しても守ってやりたいという

 

心情。

 

アランのいつものパターンを背負っていての父親像が

 

又,一段と特別のものとなって伝わってきます。

 

それと,彼のカラー作品はとてもきれいなんです。

 

メルヴイル監督のモノクロ的なカラー映像は別として。

 

これはこれで監督のこだわりがあってのことですが。

 

 

キレイとは,,,はっきりくっきりといった美しさではない。

 

なんて言うのかなあ・そうヨーロッパ絵画の美しさなんですね。

 

自然を愛し、動物を愛す彼のこだわりが画面にいつも

 

表れていて、気付く方は気付くはず。

 

たくさんの彼の作品を鑑賞する事によって

 

見えてくる楽しさですね。

 

さて、アラン.ドロンのプロフィールをご存知ない若い方々のために

 

ちょっと,彼のことをざっと紹介しましょう。

 

1935年11月、パリ南郊のソーに生まれる。

 

中等教育を終えてから、志願兵として、インドシナ戦争に従軍。

 

除隊後、世界各地を放浪、1956年にパリにもどる。

 

 

1957年にイヴ.アレグレ監督(シモーヌ.シニョレの

 

最初の夫)の、

 

    ≪女が事件にからむ時≫で,映画デビュー。

 

当時スターだったロミー.シュナイダーと≪恋ひとすじに≫で共演。

 

そのロマンスが騒がれ、それと共に人気も急上昇。

 

一流監督達の作品に相次いで出演。名実共にフランス映画界の

 

トップをゆく二枚目スターとなった。

 

1961年ロミーとの婚約解消。1964年ナタリー.バルテルミーと

 

結婚。一児をもうけた後,1969年に離婚。

 

その後、ミレーユ.ダルクと同棲,結婚。1985年に離婚している。

 

仕事の上では、製作者として、また監督としても活躍、

 

1998年、ハーフ.ア.チャンスを最後に一旦は

 

引退しましたが...その後、舞台で復活したようです。今は

 

どうなんでしょうね。

 

そして着目するは監督のジョゼ・ジョバンニ

 

映画界、小説の世界へ入る前・・戦時中から犯罪組織に身を置き、

 

またゲシュタポの協力者でもあったジョバンニは誘拐や盗みといった

 

犯罪に手を染め世界大戦終了後、強盗殺人に関与し、

 

死刑を宣告されるという経歴を持つ。

 

恩赦を受けて罪を免れ1956年に刑務所を出たとある。

 

だから犯罪組織の裏にも精通し、また社会悪の汚さを身にしみて知っている

 

彼の各作品また映画はリアリテイーに富んでいる。

 

アラン・ドロンと組んだ暗黒街のふたりや、ル・ジタンなどの映画作品は、

 

不条理をとことん描き高い評価を得る。

 

そしてなんとドロン作品の≪冒険者たち≫の原作者でもあるんです。

 

彼を一番有名にした書物は  ≪穴≫でしょう。

 

皆様来年もまた吐夢の映画の部屋をよろしくお願いします。

 

ちょうど480作目で今年を終えます。

 

みなさま良いお年をお迎えくださいませね。

 

 

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