≪インドシナ≫・・壮大なスケールと美しい景色を絡ませダイナミックに描き・・1992年度 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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           ≪インドシナ≫

 

こんばんは。

 

いつもご訪問いただきましてありがとうございます。

 

今夜はカトリーヌ・ドヌーブの作品≪インドシナ≫を取り上げます。


まず、インドシナ・・・現在のベトナム、カンボジア、ラオスまでの広域な領土

 

インドシナ半島の東部の地域であった。そして

 

1887年から67年間フランスの植民地であった。

 

インドシナという名より 仏印 として聞き覚えがある。

 

成瀬巳喜男監督の映画 ≪浮雲≫に登場する男女の出会いの場で

 

仏印という名詞が出てきた・・・記憶が・・・

 


若き海軍士官とゴム園のフランス人女性経営者の恋

 

その養女ーーーインドシナの貴族の娘であったーーーとの恋

 

という

 

インドシナ独立運動へ走る娘・・・三者三様の生き様を

 

壮大なスケールと美しい景色を絡ませダイナミックに描き

 

ーー1954年7月21日

 

ジュネーブ会議が終ってーー15年の動乱が終結

 

南北2つのベトナムが承認されたというラストである。

 

海軍士官と母との出会い、また娘カミーユと仕官との出会いのきっかけを

 

どう見せるかがこのストーリーの展開を予期させる・・・・うまい絡みです。

 

ずっとずっと見たいと思っていた本作品、是枝監督のドヌーブ主演での作品

 

≪真実≫の公開記念として放映されたおかげでやっと観ることが出来た。

 

ドヌーブーーー歳を経るほどに魅力を増し、その圧倒的な存在感は

 

画面に登場するだけで作品の重量感がこちらに伝わってくるすばらしい

 

女優さんだ。48歳の頃の美貌は全く衰えを知らない。

 

 

キャスト

エリアーヌ         カトリーヌ・ドヌーブ
カミーユ          リン・ダン・ファン
将校ジャン=バチスト    ヴアンサン・ペレーズ
エリアーヌの父親      アンリ・マルトー 
警部ギイ          ジャン・イアンヌ


ストーリー

 

1930年代仏領インドシナ。現在のベトナムだ。

 

この地で生まれたフランス人女性の、エリアーヌはまだ祖国フランスを

 

見たことがない。

 

父親の側にずっと居たため婚期を逃し、いまだ独身である。

 

エリアーヌは親友夫婦を事故で失い、

 

彼女の残したゴム園の経営を引き継いだ。

 

 

彼女には死んだ友人の娘を養女として引き取って育てていた。

 

彼女が成人するまではこのゴム園をなんとしても潰すわけには

 

いかない。インドシナでも10本の指に入るほどの広大なゴム園、領地だった。

 

娘カミーユもエリアーヌに懐いていて本当の母娘のように仲がよかった。

 

まだカミーユは世間を・・インドシナの現状をよくは知らない。だから

 

一番幸せな時期かもしれなかった。

 

エリアーヌは使用人の現地人にも信頼され順調だった。

 

ある日、エリアーヌは趣味で収集している名品のオークション会場で

 

一枚の絵画の値を競り合っていた若いフランス人の将校に出会うのです。

 

自分はお金持ちではないので、落札の権利を譲ってくれと頼むが

 

身も知らない人間に自分の勝手な理由で強引に迫るとは

 

随分身勝手だとエリアーヌに断られたジャン。

 

   

 

たちまちエリアーヌに恋をした彼だったがすぐに思いは伝えなかった。

 

2人が愛し合うようになるには時間はかからなかった。

 

 

しかし、父エミールは彼女に彼との別れを強要する。

 

エミールに脅かされたジャンは彼女を避けるようになった。

 

しかし、ある雨の日、彼は、

 

訪ねてきたエリアーヌを一度はつれなく帰らせかけるが、

 

走り出した彼女の車に飛び乗り彼女を激しく抱くのだった。

 

そんな折り、皇帝が暗殺された・・・

 

共産党集団が

 

国の独立を願い、決起したのだった。

 

そしてカミーユは町での発砲事件に巻き込まれ、気を失って倒れた。

 

それを救ったのはジャンだった。

 

手当てをした彼に命の恩人だと、彼女は彼に恋をした。

 

 

館でのパーティに招かれたジャン。

 

事情を知らないカミーユの目前で、二人は口論となり、ジャンは

 

エリアーヌをの頬をぶった。原因はさておいて。

 

この事件がもとで彼は離れ島ドラゴン島の警備に左遷された。

 

カミーユは許婚者のタンと結婚させられる。

 

が、カミーユは全てを捨てて、ジャン・バスチトに会いに行くのだった。

 

長く苦しい旅だったが、ドラゴン島に辿りついた。

 

奴隷として列に座らされている彼女を、ジャンは見つけ出す。

 

フランス将校たちの目の前を仲良く立ち去ろうとした瞬間、

 

カミーユはある知り合いの母子が、引き離されるのを拒否したという理由だけで

 

処刑されている姿を見つけたのだった。怒ったカミーユは、泣き叫び

 

一人のフランス人の上官将校を撃ち殺してしまった。

 

旅の一座にまぎれこんで逃げた2人は、

 

一級の政治犯、共産党のジャンヌ・ダルクとして指名手配されるのだった。

 

一方エリアーヌは、彼女を口説き続けてきた小ずるい警部ギイ

 

に捜査を依頼するが

 

それも無駄で

 

そのことで彼女はギイの裏の卑猥な姿だけを知ることになり

 

彼と離れることになる。

 

ジャンとカミーユの事件は民衆を勇気づけ、

 

芝居として各地で上演されるほどだった。

 

カミーユはジャンとの間に男の子を授かり、産んだのだが

 

逃亡を続けるのも束の間、ジャン・バチストは逮捕され、投獄される・

 

 

一旦釈放されたジャンだったがこれも陰謀で

 

エリアーヌに預けていた赤子のエテイエンヌとエリアーヌの父の館で

 

過ごしているところを暗殺されたのだった。

 

カミーユも牢に

 

囚われの身となるが

 

恩赦によって釈放される。

 

迎えに行ったエリアーヌだったが、

 

カミーユはエテイエンヌにも会わない、また共産党の仲間のところに

 

合流するといって泣きながら母親と別れるのだった。

 

成人したエティエンヌは、出所したカミーユのたっての願いで、

 

エリアーヌとともにフランスに帰ることを告げる。

 

そして1954年、

 

ジュネーヴ会議に独立国ヴェトナムの代表として渡欧してきたカミーユに

 

息子エティエンヌは面会しない意志を伝える。

 

自分の母はエリアーヌだときっぱりと言った。

 

 

エリアーヌは愛しき地インドシナとその想いは

 

出口も入り口も見つからない中で

 

その地に

 

自身のアイデンティティつまり他人とは違う自分のはっきりとした存在感とでも言いますか・・・

 

を見出すことができなかった と思った。 が

 

その代わりに

 

インドシナの申し子エティエンヌを傍らに、

 

来し方の遥かな思いにふけるのだった。

 

見応えのある作品でした。

 

 

今から17年ほど前ですか、やはり映画のブログを書き始めた頃に

 

ベトナムに住まわれていた日本女性の方と縁があったのですが

 

すでにベトナム人気が上昇し始めていた頃で

 

ベトナムの食のことや、人気のグッズなどを知った時期でもありました。

 

 

1992年と製作

 

すでに多分活気のあるベトナム、まだフランスに

 

この頃は、これだけの映画を作る財力があったと思いますが

 

今、これだけの映画が作れるかどうか・・・・

 

いい時期に作られたと思います。

 

世界遺産の名勝ハロン湾を最も美しく写した映像に感動。

 

これでもかこれでもかというくらいベトナムの美しい映像がゆったりと

 

 

丁寧に連続して映し出される。

 

コロニアル文化を示すような街の建物や

 

富豪の自宅の建物の建築様式は、

 

邸内のインテリアなども含めて素晴らしいに尽きる。

 

 

籐のソファなどの

 

 

アジアンテイストのインテリアが好きな人にとってはたまらない

 

魅力だったと思うし、日本でもインド更紗や籐のインテリアが

 

ふんだんに紹介されていた2000年ごろを思い出しました。

 

そしてドヌーブさんのファッションも含め

 

リーン監督のイギリス映画≪インドへの道≫を彷彿とさせる

 

ステキなモノでした。

 

また、カミーユ役のリンは可憐な容姿に強烈な意志を秘めた

 

強い女性を見せ付けられ、

 

冒頭の幼さが残る少女から

 

お産をする頃には

 

しっかり独立運動の闘士としての表情が  まるで

 

別人のようでこれもまた魅力的でした。

 

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