<個人生活>・選ばれるのは権力か それとも愛か・ドロン作品② 1974年 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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  アラン・ドロンの<個人生活>..

 

こんばんは。いつもご訪問いただきましてありがとうございます。


アラン・ドロンは一番好きな俳優さんですので、色んな作品を

 

取り上げる中で彼の出演作品をぼちぼちと取り上げて生きたいと思います。

 

今夜は 若き政治家と売れっ子モデルとのはかない恋物語。

 

ドロンさんと言えばハードボイルドタッチの作品が圧倒的に多い中

 

<個人生活>は<高校教師>と並んで悲恋を描いて珍しい・


まずは  
  ストーリーから・・

左翼自由主義をスローガンとする連合共和党の多数派を率いて
ぐんぐんのし上った野党の党首、ジュリアン.ダンデイユ(ドロン)に
マスコミが群がった。

 

降りしきる雨の早朝のパリ。

 

大統領官邸で、閣僚会議が終わったところである。

 

フランス政界の若手ホープであるジュリアンは

 

今では、パリの街では誰もが噂する寵児であった。

 

幼い時から炭鉱夫として、身を粉にしてして働き、

 

労働運動に身を投じてきた。


彼はルネ(ジャンヌ.モロー)という連合共和党の総裁ピエールの

 

未亡人と深い信頼で結びついていた。

 

 

ジュリアンには飛行機内で知り合った、

 

クリージー(シドニー.ドーム)というフアッション.モデルの

 

恋人がいた。

 

今彼はその恋人のアパルトマンに車を走らせていた。

 

迎えの秘書は朝七時に、そのアパルトマンに車を着けた。

 

美しい妻と息子がいるジュリアンであったが、

 

仕事に追われ、留守がちな彼に、

 

孤独と不安からノイローゼとなってしまった妻は

 

病院に入っていた。

 

ジュリアンの仕事を理解しない妻に彼もまた、孤独なのであった。

 

そんな彼の前に現れたクリージーは

 

美しく、伸びやかな肢体、優しさ、

 

豊かな胸に顔をうずめるときが

 

ジュリアンのひとときの安らぎを得るときであった。

 

そういうことも含めて、公然と人々の口に上るほど彼の存在は

 

注目の的であった。

 

政界は今、揺れ動いていて、ジュリアンのような

 

若き野心家にとってはまさに活躍の場であった。

 

ジュリアンは閣僚のポストを狙っていたが、

 

同志サハランが同じくポストを狙っていると知り、

 

ルネ夫人の力を借らざるを得なくなった。

連合共和党の影の実力者である夫人は

 

クリージーとの別れを条件に協力を承諾した。

 

クリージーの存在は

 

いずれ彼の足を引っ張る結果になるからである。

 

しかし、ジュリアンは心からクリージーを愛していた。

 

 

クリージーを訪ねるのは夜中であったり、早朝であった。

 

クリージーも次第に”待つ”という生活への不安と

 

孤独が襲ってくる毎日に段々と耐えられなくなっていた。

 

 

少しでも長くジュリアンと過ごしたいクリージーであったが、

 

彼のスケジュールはそれこそ分刻みでクリージーの

 

願いを叶えてやれない。

 

ジュリアンも苦しんでいるのである。

 

クリージーは耐えられなくなって、ジュリアンに別れを告げた。

 

ジュリアンが何度電話をしても無駄だった。

 

クリージーとて、彼を心から愛していると言う。

 

だが、苦しむのはいやだと受け入れない。

 

彼女の部屋の前で待ちもしたが、帰ってきた彼女は

 

受け入れてくれなかった。

 

ルネ夫人の手回しでサバランは

 

ジュリアンに協力する事を承諾した。

 

大臣の地位は約束された。

 

一段落ついたジュリアンは早速、クリージーに電話を入れた。

 

  彼女の口から漏れたのは、

 

   ”待つのはもういや!

     0時までに来なければ...

     例え一秒過ぎても待たないわ。
      そのときは永遠の別れよ”  と。

 

   自殺を仄めかして、電話は切れた。

 

クリージーの元へ行こうとしたときに、

 

秘書のドミニクから引きとめられた。

 

”大統領がエリゼ宮で0時にお待ちだ”。

 

 

ジュリアンは大統領に会うしかなかった。

 

0時を過ぎてしまった深夜のクリージーのマンション前。

 

見上げるクリージーの部屋の灯りはついていなかった。

 

 

哀しみにくれ、苦渋にゆがむジュリアンの顔。

 

それは嗚咽へと変わった....

 

 

・・権力と愛を選ばせる・・残酷さ・

 

監督のピエール・グラニエ=ドフェール の作品は結構見ていまして

 

メグレ警部もそうですし、過去に投稿した<帰らざる夜明け>や

 

ロミー・シュナイダーの<離愁>もそうです。

 

<帰らざる夜明け>でドロンさんはそれまでと違った役柄で新境地を開拓し

 

シモーヌ・シニョレという大女優と共演。圧倒的にシニョレの演技が光り

 

そこに真っ向から挑戦したドロンさん、

 

その四年後に今夜の作品<個人生活>ではヒロインのシドニー・ロームはさておき

 

ジャンヌ・モローとの共演。

 

フランスの政界に現れた少壮喜悦の寵児・・・でありながら

 

こと恋に関しては全くもってメロメロ、

 

恋も政治も言いたかないけど中途半端なダメ男であります。

 

<帰らざる・・・>と<個人生活>はまるで正反対の男性です。

 

監督の意図は何だろうと思ってしまった・・

 

男の仕事を理解しなかった妻だから

 

二人の間はうまくいかなくなった。

 

妻にも言い分はあるだろう。

 

 

しかし、またぞろ彼の仕事を理解しない、

 

彼の愛だけを求める女性に

 

ジュリアンが惹かれるのは何故だろう?

 

心から愛しているとジュリアンは秘書ドミニクに告白した。

 

クリージーのどこを愛したのだろう?

 

愛とは相手をそのまま受け入れる事だと思うし、

 

彼の仕事への執念は最初からわかっていたはずで、

 

クリージーとて、

 

彼が思い切り仕事をしている姿を愛したならば

 

不安など無いはずだ。

 

 

ジュリアンは彼女と会っているときは思い切り彼女に

 

愛をぶつけ、彼女だけのものであったはず。

 

不満をぶつける彼女にジュリアンは

 

妻と離婚して結婚すると言った。

 

しかし

 

クリージーはそんなこと望んではいなかった。

 

とにかくふたりだけの時間を..

 

仕事よりも自分を優先して欲しかった。

 

ここにもう無理が存在した愛の形である。

 

相手をそのまま受け入れる愛の形か、

 

同じ志を持って理解するパートナーとしての愛の形か・・・・

 

大別すればこのどちらかだろう。

 

それでもお互いに惹かれたのはもう言葉では言い得ない、

 

苦渋の愛に身を投じたとしか言いようが無い。

 

ジュリアンそのものを受け入れれば

 

彼にも本当の意味の安らぎがあっただろうし、

 

 

受け入れる愛に幸せを感じれば

 

クリージーにも

 

不安ではなく、愛する満足感があったのではないだろうか?

 

 

それでは映画になりませんか..ハハハ!

 

ともあれ、灯りの消えたアパートを見上げて

 

哀しみに打ちひしがれるアランの顔はやるせなかった。

 

本当に哀しんだのだろうか??

 

そしてドロンさんが一番美しいときでもある。

 

フイリップ・サルドのテーマ曲はいつもながら耳に馴染みやすい。

 

モローさんの衣装はカルダンと別れた後でエマニュエル・ウンガロが担当。

 

ドロンさんの衣装はデイオールが担当だそう。

 

 

 

1974年度作  仏

 

監督 ピエール・グラニエ・ドフェール

 

製作 アンドレ・ジェノーヴェ

 

脚本 ピエール・グラニエ・ドフェール

   パスカル・ジャルダン

 

撮影 ワルター・ウォティッツ

 

音楽 フィリップ・サルド

 

出演
アラン・ドロン

 

 シドニー・ローム

 

 ジャンヌ・モロー

 

 クロード・リッシュ

 

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