『ゲームの規則』・ 心変わりは罪ですか?恋には翼があるものを ・ジャン・ルノワール監督 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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戦前のフランス映画が大好きです。
基本、鑑賞後の感想ですのでネタバレが殆どです。
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こんばんは。
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フランス映画特集第三夜

今夜のお題は≪ゲームの規則≫
この作品は、1939年度の作品。
1992に年に
世界の映画人が選んだ”映画史上ベストテン”で
堂々第2位に入賞した作品で同監督の≪大いなる幻影≫と並ぶ
最高傑作であると申し上げておきます。

★一度目鑑賞ーーーとにかく役者がドタバタ動き回る作品で
よくわからず。
★二度目、じっくりまじめに鑑賞。
ンンンン?? モーツアルトの≪フイガロの結婚≫みたいーーーー
モーツアルトのオペラでは美しい音楽が絶え間なく続きますが
(わたしはこのオペラは二十年ほど前に劇場で一度だけ見ました。)
ルノワールの映画では音楽の代わりに人々が喋りまくり、
ドタバタが延々と続きます。

冒頭で
やはりボーマルシェの戯曲「フィガロの結婚」の一節が引用されていま
した。
「心変わりは罪ですか?恋には翼があるものを」と.
この映画のテーマのようです。

★そして三度目は
時代背景と監督ルノワールが狂言回しとして出演している意味は何だろう
と思いつつ見ました。
すごい風刺劇だったんですよ、これが・・・

映画狂のバイブルとも言われている傑作。

今見ても決して古さを感じない。

まず、ジャン・ルノワールのこと。

フランス映画第一黄金期の4大監督の一人ジヤン・ルノワール。
画家オーギュスト・ルノワールの息子であることはご存知ですよね。


女性が母、抱かれた幼児がジャンです。

兄ピエール・ルノワールは俳優。
甥のクロード・ルノワールはカメラマン。

第一次大戦の後、飛行中の事故で入院中に映画を見る機会があり
その時にチャップリンや、
アメリカ映画初の長編映画
≪國民の創生≫や≪イントレランス≫を監督したグリフイス作品を見て
映画の虜になり、1924年、30歳で映画監督デビュー。
しかし興行的に失敗、負債を抱えるなど紆余曲折して
1937年フランス人が今でもフランス映画の最高傑作として挙げる
≪大いなる幻影≫を監督。ついで≪どん底≫、≪ゲームの規則≫と傑作を
生み出し、ルネ・クレール、ジャック・フェデー、ジュリアン・デュヴィヴィエ、
とフランス映画の第一黄金期を築く。
その後イタリアに渡るが第二次世界大戦勃発、ドイツのフランス侵略から逃げるべく
アメリカに渡り、≪南部の人≫監督。戦後再びフランスに戻り、
≪フレンチ・カンカン≫、≪草の上の昼食≫などを撮る・
この映画は当時のフランスの上流社会だから総スカンを食らったんですって.
一般のフランス人でさえ総スカンで当初興行的に大失敗だったそう。
「彼らは滅びゆく階級だよ」というセリフなどが刺激になったみたい.
にもかかわらず,この映画は70年以上経った現在でも世界中で鑑賞されてるんで
す。

簡単なストーリーをーーーー

キャスト
クリスチーヌ=ノラ・グレゴール

夫ロベール・ラ・シュネイ=マルセル・ダリオ

アンドレ  クリスチーヌの愛人 飛行家=ローラン・トータン

密猟監視人シュマール
妻リゼット

密猟犯マルソー=ジュリアン・カレット

食客オクターブ=ジャン・ルノワール

ジュヌビエーブ=ミラ・パレリー







飛行家アンドレ・ジュリユーはブールジェ飛行場に到着し、
熱狂する群衆に迎えられたものの
インタビュアーからのマイクに不満を顕にした。
彼は大西洋を23時間で横断という冒険に挑んだのはある女性のためだったのに
その彼女が出迎えに来ていないのだ。
その女性、ラ・シェネイ候爵の夫人で名を
クリスチーヌという・
彼女はその時間、パリの邸で
着替えをしながら、そのインタビューを
ラジオ放送で聞いていた。
夫のロベールはもちろんのこと、二人の仲は、社交界で知らぬものはいなかった。
ロベールにもまた、ジュヌビエーブという愛人がいた。
こちらも妻クリスチーヌは当然のこと社交界で周知の事実だった。
食客オクターブはアンドレの親友であり、
クリスチーヌの相談相手でもあった・

オクターブはクリスチーヌに相談して、ラ・シュネイ家の領地コリニエールで
催される狩猟の集いに
アンドレを招待することの承諾をとった。
領地コリニエールの密猟監視人であるシュマシェールは融通の効かない堅物で
しかも妻のリゼツトと別居している。つまりシュマシェールは領地の方に住み
妻リゼットは邸に住んでいるのだ・

ある日、シュマシェールは密猟人のマルソーを捕らえた。
二人が揉めているところにロベールが通りかかり、
ロベールに取り入るのが上手いマルソーを気に入り
彼はマルソーを使用人として雇ったのである。
狩猟が行われる日、多くの招待客が行きかう中、
ジュヌビエーブと別れることにしたロベールは彼女に別れを告げるが
ジュヌビエーブはロベールを諦められない・
せめて最後のキスをとねだる・
が、その光景を遠くからクリスチーヌが見てしまい、
愛の口づけと勘違いしてしまった そこから
話がややこしくなりドタバタとけたたましい
おしゃべりへと発展してゆく。
クリスチーヌに思いを寄せるもう一人の男ーーサン=オーバンが登場。
彼と姿を消したのを知り、アンドレはサン=オーバンに殴りかかる。
マルソーはマルソーでリゼットを追い回し、追いかけられるリゼットも
まんざらではなく、相手にするからシュマシェールは怒り狂ってマルソーを追い回
す。
厨房で、マルソーがリゼットを口説いているのをみて怒りが頂点に達した
シュマシェールがは銃を振りかざす。
候爵はクリスチーヌとアンドレが抱き合っているのを見つけ、
アンドレと殴り合いになる。
大騒動の末、
落ち着きを取りもどしたロベールとアンドレは仲直り
騒ぎをおこしたシュマシェールとマルソーは喧嘩両成敗ーーと解雇した。
解雇された二人は落胆して 庭で話しあっていると、
ベランダにオクターブとリゼットの姿が見えた が、
実はそれはリゼットのマントをはおったクリスチーヌだった。
クリスチーヌはオクターブに、
自分が本当に愛しているのはオクターブだと打ちあけた。
二人は一緒に逃げる約束をし、庭の隅にクリスチーヌを待たせ
オクターブはコートを取りにもどる。
しかし、リゼットにたしなめられ、アンドレに出くわしたオクターブは
コートをアンドレに持たせ、クリスチーヌの元へと行かせたのだった。
リゼットと思い込んでいるシュマシェールの銃は
アンドレ目掛けて火を噴いた。
アンドレはその場で即死。
響いた銃声に邸に宿泊している客人たちも庭に出てきた。
がしかし、ロベールは、この事件を、
密猟監視人が密猟人と見誤って偶発した事故として客人立ちに告げた。
お客も何事もなかったかのように、それぞれの部屋に引き返すのだったが
ある人はーーー(事故の新しい定義ですなあ)とつぶやいた。

インモラルな騒動をじっと眺める愛すべき食客オクターヴ。
この狂言回し的人物をルノワール自身が演じていますが、いい味の存在感です。
第二次大戦が始まろうとしているのに、戦争とは関係のないところで
恋愛に、狩に不倫にと遊びほうける上流社会の人々を皮肉っている・
悲劇か喜劇か
どちらにも揺れ動く作品自体の構成もすばらしい。
アンドレがクリスチーヌに駆け落ちを持ちかけるときに
アンドレがロベールに断って出て行くと言うシーンがある。
おかしいですよね。恋敵に断らずともとクリスチーヌは言うが
アンドレはそれはルールだから  という場面がある。
“恋愛ゲームにも規則がある”に囚われながら、
人間社会の構造を、そして、戦争へと背景は動いて行く時代に対して無頓着な
上流社会の輩たちに
批判を突きつけている。
しかし、登場人物たちに
“敗者となった自分たちの姿”を
オーバーラップした観客たちは
この映画を蔑み、公開は大惨敗に終わるのである。
が、今この作品の価値は
ドイツに侵略され、フランス人が何よりも大事にしている 自由 というものを
取り返す意志と情熱を見せた(天井桟敷の人々)にあるように
戦争が始まるのにその覚悟も関心もない上流社会人が批判されて当然で
自由の国の精神の衰弱とみなされても仕方あるまいというテーマであろう。

フランスの自由の精神とは前にも述べましたように
我々の感じる自由とは大いに違うもので
フランス人の平和と自由の精神は生活に密着しているものなのですね。
きっと戦争前のフランスの上流社会はあんなだったのかも知れませんね・
 
 
ルノワールはこの映画の中に
この世の中で生きることの全てを描いているように思う.........

制作1939年度   
日本公開は1982年