《浪花の恋の物語》・・映画が結んだ恋 ・1959年度作品 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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≪浪花の恋の物語≫

 

こんばんは。

今夜はこの映画の共演で、恋が芽生え結婚したお二人、

 

中村錦之助と有馬稲子さんの作品のご紹介です。

 

近松門左衛門の≪冥土の飛脚≫を映画化した

   内田吐夢監督の ≪浪花の恋の物語≫デス。

 

この作品も小学生の時にリアルタイムで観ました。

とにかく画面がきれいできれいでという印象が残っていました。

 

内田吐夢監督は先に紹介した≪宮本武蔵≫5部作や、

≪大菩薩峠≫といったスケールの大きい様式美溢れる作風で

知られている。

 

≪血槍富士≫や、≪花の吉原百人斬り≫といったケレン味あふれる

画像は現代劇のケレン味で魅きつける吉村公三郎と

よく比較される。

 

改めてみた、≪浪花の恋の物語≫は上手い構成と

日本時代劇の様式美ここにありと思わせる出来である。

 

ストーリー

近松座の作家、門左衛門は次ぎの作品の構想が決まらずにいた.

 

飛脚稼業を営むお店(たな)の養子忠兵衛は堅物で、働き者と

評判だった.縁談も決まりかけていたが、ある日親しい友達に

無理やり、遊びを教えると言われて連れていかれた郭(くるわ)で

美しい遊女梅川と出遭った。

 

お互いに魅かれあった二人であったが、梅川にも

遊郭のお大尽(豪遊するひとのこと)から、身請けの話が

持ちあがっていた.

思いつめた忠兵衛は、お客から預かった50両の金を

行きがかり上、茶屋の主が言う見受け料、250両と

加えて200両という大金の見受け手付金として、払ってしまった。

お店に帰るのが遅いので思い当たった友人は茶屋に訪ねていった.

 

忠兵衛は友達と思って、恥を忍んで打ち明け、

持ちかえる50両を2,3日という事で、借りた。

 

茶屋にしてみれば、ライベル出現でお大尽にも金額を

吊り上げられるとほくそえんでいる。

 

それから、今度は武家邸に届けるよう母から言われ、

300両の金を預かって出かけた忠兵衛は、

途中、ふと、梅川のことを思い出し、茶屋に行ってしまった.

 

250両を差し出しているお大尽を見て、

咄嗟に、懐に手をやった.

しかし、そこで、主や、お大尽にまたしてもバカにされ、

身上(しんしょう)のことまで、あからさまに言われ、

歯を食いしばった。

 

いくらお金の世界とは言え梅川の気持ちに反して、

好きでもない相手に身請けされなければならないとは

非人情だと.、それが、世間というものだとわかっていながら、

 

”梅川に問いただす”と部屋へ行くと。。。

 

友人が梅川に、お金の出所から、今までの経緯をと、

とうとうと喋っている。

しかも、”わしの金だけは先にかえしてもろとこ!”と.

これには忠兵衛は頭に血が上った。

”友達と思えばこそ、恥も何もさらして打ち明けすがったのに

ようもようも、みんなの前で恥をかかせてくれたなあ”

懐から金を出し、封印をちぎってばらばら、じゃらじゃらと

ばら撒いて、泣き笑いで、梅川と抱き合い、

”これでわしらは夫婦や”と...

 

捕り方はお店に踏み込み母は捕らえれていった。

ここで田中絹代扮する母は品格も、気丈さも充分に伝わってきて

素晴らしい.

逃げた二人は死ぬ前に生みの親に会いに行くつもりであったが、

なんの罪もない梅川に累が及んではいけないと

ここで別れようという.

自分は封印切りの罪で、死罪を覚悟していると....。

 

さて、近松はふとしたことから、この二人の経緯を見守っていたが

ふたりが逃げたことを知り、小屋主からせっつかれ、

このふたりのことを戯作にしようと思いたつ。

まだ,心中はしていないようだ。

郭の一部屋で構想を練っていると、梅川が連れ戻されてきた。

梅川は狂ったように、井戸端へ降りていき、飛び込もうとするが

主に捕まり、”死ぬことさえ自由にならないのですか”.

”お前には2度勤めがまっているのじゃ”。

 

結局、忠兵衛は打ち首となり、梅川は”忠さま、忠さまと

半狂いである.

世間の非情を見て,近松は何を思ったのだろう・・・?

 

雪の中、近松は筆を執り、イメージを浮かべる..。

それは、歌舞伎の世界の中で、

梅川、忠兵衛が雪の中、舞う美しいシーンであった.

会いたかった親にも会わせ、道行をさせようというのか..。

 

 

 

 

 

 

近松は芝居小屋の大向こうから舞台を一心に見つめている。

舞台では、観衆が食い入るように涙する、”冥土の飛脚”の

人形浄瑠璃が上演されている。

カメラは近松の目から、ずーーっと引いて行き、桟敷を乗り越え、

舞台の人形の背中へと引く。

 

そして、再び、近松の目へと戻り、

フエイドアウトしていくのである。

 

その近松の目はこの残忍な芝居を世に投げかけ、ひととき涙する

観衆へのメッセージであり、芝居にした後悔でもある.

 

恋の物語だけではない、人間の面子を傷つけられた男の悔しさ、

どうしようもない封建制への告発。

人間性への謳歌、なにも語らない、ただ、そんな不人情な終わり

にはしないとだけいった近松は

ただ、しずかに、

人間の織り成した悲劇を差し出しただけなのだろう.

そこが、近松への入り口だと思うのである。

 

溝口健二の≪近松物語≫や、≪雨月物語≫、≪山椒太夫≫といった

モノクロのシンプルな幻想世界とは又一味違った、

現実の梅川、忠兵衛と、近松のイメージの中の歌舞伎の世界の

梅川、忠兵衛と、ラストの人形浄瑠璃の梅川、忠兵衛を

上手く絡み合わせて、良く知られた梅川、忠兵衛のストーリーを

近松がどういう風に捉え、浄瑠璃作品として仕上げたか?

を併せて描いた。

そのカラーも非常にうつくしく

ふたりが黒の紋付、献上博多帯の衣裳で踊る舞いは

この世のものとは思えぬ、息を呑む美しさである..。

 

制作 東映  

1959年度作

監督  内田吐夢

 

出演

 

忠兵衛 中村錦之助

   

梅川  有馬稲子

 

近松  片岡千恵蔵

 

友人  千秋実

 

お大尽 東野英治郎

 

遊郭主 進藤英太郎

 

忠兵衛の養母 田中絹代

 

原作 近松門左門...

 

冥土の飛脚より

        

 

 

    

 

 

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