《祇園の姉妹》・溝口健二監督 現代劇の金字塔 ・1936年度作品 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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好きなのは戦前のフランス映画です。

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溝口作品 現代劇の金字塔

《祇園の姉妹》
こんばんは。

さて、さて、私は邦画も大好きで、
やはり、
溝口作品、市川崑作品
成瀬巳喜男作品、
小津作品、黒澤作品、
吉村公三郎作品、
豊田四郎作品、
そして大好きな
内田吐夢作品、川島雄三作品と順次取り上げていきたいと思っています。

さて、
山田五十鈴という女優を最初に記憶したのは、
多分、黒澤明の『蜘蛛巣城』であろう.
小学校の時に学校から
集団でお勉強映画会として
見に行った記憶があります。
この時山田は40歳くらいか。


溝口健二の真の代表作として、この作品ーー祇園の姉妹を
取り上げるとすれば
彼溝口のことを書かねばならないのですが、

この作品で19歳で名実ともに大スターとなった
山田五十鈴のことにも触れねばならない。

溝口監督は戦後の
あの作品群ーーー
《西鶴一代女》
《雨月物語》、
《山椒大夫》などで、

数々の国際映画賞を
受賞したことにより、
時代劇の名匠のように言われているが、
戦前の
『浪華悲歌』、『祇園の姉妹』に関する限りは
邦画の現代劇に燦然と輝く金字塔を打ち立てたといって良い。

また、《残菊物語》や
《滝の白糸》など
舞台 新派の代表作の映画化でも高い評価を得ていて、私はどれもこれも大好きな世界です。

金字塔の
この2作品のうち
今夜は、
『祇園の姉妹』を取り上げてみます。
この作品は昭和11年制作である.

以前書きました戦後の祇園を生き抜こうとした芸者を描いた
吉村公三郎の『偽れる盛装』と比較してみると面白いです。

こちらは、それまでの映画の中に見ることのなかった
エゴイズムの塊のようなヒロインを描いた。

そして今までその内側を
知る情報もなかった私たちに
✴️祇園の内側✴️という世界を
徹底して見せたという画期的な映画でもあった.

けだし、祇園界隈つまり
外の祇園はあまり
登場しない。

それまでの
映画の主人公というのは
観客の同情を引いたり、
感情移入出きるような同じ価値観を持つ女性が
理想のヒロインであった時代から、
1歩離れた所でこういった女性を取り上げた溝口が
トーキーが始まって
わずか5年後に取り組み、
渾身の力を振り絞って作った作品だと聞いた。

かたや、山田五十鈴は最近は身につけた清元の芸で
お目にかかることが多くなったが、
《これは10歳で名取りになったのだそうだ。》

昭和5年にデビューして
19歳で溝口監督の2作品で演技開眼、
名優の名をこの頃からすでに欲しいままにした.

日本人形のような美貌でありながら、
浪花女のえげつなさを
100パーセントこなせる女優..
そして、
関西弁も完璧に喋れる
女優さんは
浪花千栄子と並んでこの二人だけであろう。

そして、あの涼しい目元はともすると意地悪な眼に変わる。

お姫様もこなせ、飲み屋の女将もこなせて、
山の手夫人もこなせる.

成瀬巳喜男監督の
『流れる』の
芸者置屋の女将は絶品であった.

ストーリー

梅吉(梅村容子)とおもちゃ(山田五十鈴)は
姉妹で芸者に出ている。


姉梅吉は律儀で真面目で騙されてもだますことのできない性格で、
妹の
おもちゃからすれば歯がゆく映る.

義理人情、世間体などを気にして旦那ひとり持てないでいる。

旦那どころか落ちぶれた昔のなじみ客を引き取って
面倒をみているという
お人よしである。

女学校出のおもちゃはといえば、お金、お金と
えげつなささえ感じるほどの勘定高い性格で
せっかくの美貌もこの性格が邪魔をして、
いつも悶着を起こしている。

呉服屋の番頭をたぶらかして衣裳をもちださせたり、
それが、ばれるとその店の店主を言葉巧みにたぶらかして
お金をなんとか引き出そうとするような女である。



自動車から突き落とされ、
”お前みたいなクサッた女は、少しは苦しめばいいんや”と
吐き捨てられる.

これは一瞬の敗北かもしれないが、おもちゃにはおもちゃの
言い分がある.

義理をつくし、誠を尽くしたねえちゃんはなんや、騙されて、
逃げられて、あてはそんなんいやや”

同情して尽くした男は別れた筈の女房の郷里で新しい仕事の
口が見つかるとさっさと梅吉を置き去りにして、仕事に
夢中になっていく。

”ねえちゃんは世間に顔たてて、りっぱやいわれて.
それで世間に何をしてもろた?
どんなええ生活が出来るようになった?

うちは商売上手にやったらやったで、腐った人間やといわれるし
あてらはドないしたらええんや?
なんで、芸妓みたいな女がなけりゃならんのや.
こんな間違うたもん、なかったらええのや.”

ラストのおもちゃの叫びは、血を吐くような叫びであった.

功利一点張りというかお金お金のいやらしさをこの人がやると
本当に憎たらしささえ感じる。
それは演技が成功しているということであろう。

生々しいエゴイズムを描いた最初の作品であるから
見るべきなんですね。


同じようなテーマの
吉村公三郎監督の
《偽れる盛装》も
映画としては成功作である.
その違いを見ると、
吉村のケレン(外連)み...。見た目のおどかし.華やかさ、いかにもドラマチックという作り
に比べ、
溝口のものはやはり芸術で勝負していると思うので
あるがどうでしょうか??

制作  第一映画  
昭和11年《1936年》
監督  溝口健二
出演  
梅村容子
山田五十鈴
進藤英太郎

キネマ旬報ベストテン
《浪速悲歌》を押さえて
堂々第一位