約3年ぶりに自分のブログページを開き、文章を書いています。

先ほど、とてもショックな知らせが届き、悲しみに押しつぶされそうなので、文章を書くことで今の自分の感情を味わい、昇華したいと思ったからです。

自分の気持ちの整理のため、ダーっと文章を書くのに、一番書きやすいのがアメブロだと思い、今回、久しぶりにこちらに来ました。

楽しい内容でも、役に立つ内容でもなく、ただただ自分のためだけに書くものなので、すみませんがその点、ご了承ください。





教員時代、一番お世話になった先生の、訃報連絡が入りました…



右も左も分からない新任のとき、一緒に学年を組んでくださった先生です。

その学年は2クラスしかなく、また、私には拠点校指導員の先生もついていなかったため、正におんぶに抱っこの状態で、手厚くご指導いただきました。

…いや、ご指導いただいた、なんて、キレイな言い方ではとても収まりません。

大学出たての弱冠22歳の私は、そもそも何もできないし、ちょっとやる気出して何かやっても全く方向性が違って空回りするし、正直、うまくいったと思えることなんて何もないような1年だったので、その先生には、迷惑ばっかりかけて、いつも尻拭いしてもらっていた、という感じです。

普段は私が好き勝手やってるのを、穏やかに見守ってくださっているんだけど、困ったときにはサッと気づいて必ず助けてくださる、本当に頼れる先生でした。


その先生の子どもへの指導も、本当に素晴らしくて…

大きな声で叱ったり注意したりしなくても、子どもたちはその先生の言うことを素直に聞くんです。

言うことを素直に聞く、というより、自然と正しい方向に自分たちで動く、というか…。

隣りで見ていても、どうしてそうなるのか全く分からず、いつも魔法を使っているかのように見えました。


私のクラスにその先生のクラスの子が来て、合同で授業をしようとしたとき…

時間になっても、私のクラスの子は席にもつかず騒いでおり、私は手を焼いていました。

そこへその先生が、後ろに自分のクラスの子を引き連れてやってきたのですが。

私のクラスの扉の前で立ち止まり。

そこに透明なガラスがあるかのようなパントマイムをし始めたのです。

そして、

「おしゃべりバリアが張られてて、教室に入れないよ〜」

と。

それも、全く叱る感じではなく、むしろおどけて楽しそうな感じで。

すると、子どもたちは笑いながらもすぐに静かに席につきました。


…もう、本当に衝撃で。

魔法の正体はこれだったのかと。


その日から、その先生のやり方を観察して、私も真似しようとするのですが…

残念ながら、同じような結果は全く得られず…

魔法の正体は分かっても、自分では実践できないので、結局魔法は魔法のままで、不思議で仕方がないのには変わりありませんでした。


今にして思えば…

そして、なかなか文章だけでは伝えきれないのですが…

その先生は、言葉だけでなく、声色、表情、動作、それから間(ま)…それらを全て使いこなして、その場の空気感を作るのが、本当に上手な先生でした。

そして何より、ごまかしやいつわりは一切排除した真剣な態度で、子どもたちと対峙されていました。

子どもたちも、自分が尊重されているのが分かるからこそ、この先生は信頼できる、そして自分のことも信頼してほしい、と、自然と頑張るのだと思います。

…あぁ…

今、書いてて気づきましたが、当時の私もそんな子どもたちと一緒だったなと。

大変で辛い1年だったけど、何とか自分の足で踏ん張ることができたのは、子どもたちと同じく、その先生の術中にはまっていて、その先生に尊重してもらっているのが分かるからこそ信頼してもらいたい、と思っていたからだなと。

改めてその偉大さを、感じ入っています。


その先生からの教えで、今でも私の指針となっている言葉があります。

それは、

「おうちの人が、一番その子のことを愛していて、一番その子のことを分かってるんだよ。それを念頭に置いて、おうちの人とお話しなさい。」

ということ。

教員や支援者からすると「あれ?」と思うようなことがあったとしても、その人にとっての理由がきちんとあり、その根底には子どもへの愛があるのです。

上から指導したりその行動を否定したりするのではなく、そのおうちの人の子どもへの愛に寄り添う。理解をしようとする。

まずはそこが大切なのだと。

昨年からフリースクールを始めて、様々なおうちの人と深く関わるようになり。

なおさらその重要性を感じています。



実は…

ここ最近、その先生のことや、その先生と過ごした日々のことをよく思い出していました。

そして、恐れ多くも、

「私も少しは魔法を使えるようになったかな」

「おうちの人の愛に寄り添って、支援できるようになったかな」

なんて、思える瞬間もあり。

もしかしたら、その先生が、何かパワーのようなものを、送ってくれていたのかもしれません。

…父が亡くなる前にも、同じようなことがあったので。


ただ…

悔やんでも悔やみきれないのは、その先生との交流は、教員を辞めてから全くと言っていいほどなかったこと…


私は、母の病気をきっかけに適応障害になり、グチャグチャな状態で教員を辞めました。

最後までご心配をおかけしたままになっていたのです。


今、作文講師をしたり、フリースクールを設立したり、地域学校協働活動の支援員として学校や先生方のお手伝いをするようになったり、あの教員時代の経験を糧に、私は仕事をしています。

「元気になって、今はこんな形で学校や子どもたちと関わらせてもらっているんですよ。」

「先生から学ばせてもらったこと、今でも私の指標になっているんですよ。」

「そして…こんな今の私があるのは、先生のおかげです。」

心の中では、何度もその先生に呟いていたこれらの言葉…

ついに直接お伝えすることができないままとなってしまいまったのです…


感謝を直接伝えられなかったこと…

今の私の悲しみは、ここにありました…


そして、今になってようやく気づいたのですが…

両親の次に私を育ててくれたのは、この先生だったなと…

この先生から受けた影響は、自分が思っている以上に、私の心骨に染み渡っていたんだなと…

そして、これだけ離れていたにも関わらず、時空を超えて、またさらに、たくさんの気づきを与えてくれました。

私にとって、本当に偉大な先生でした…


5年前の父の死のときとは、また違う感情をいろいろと味わっています。

でも、父と同じように、私にとって目指すべき存在で。

タイプは違うけど、場の空気感の作り方やその懐の深さなど、私がこうなりたい、と思えるものを持っている人でした。


そして…

これは不謹慎かもしれないけど…

私が、“母の死”を受け入れる準備を、できるようにしてくれたのかな、とも思いました。

母の状態は、残念ながらだんだん悪くなっていて、いろいろと変化すべきときを迎えています。

でも、私はそれを、心の底では受け入れられていないようで、母に対するいろいろな執着を未だに感じています。

でも、さっきも書いたけど…

感謝の気持ちを先生に直接伝えられなかったことが、今はとても悲しくて…

この先生への感情が、母に対して同じ後悔をしないように、ということも、教えてくれているような気がしました。





…久しぶりにブログを開いて、ここまで長々と書いてきましたが…。

ここのところ、文章を書くのが億劫で、ブログ以外のSNSも、ずっと更新していませんでした。

いろいろと感じることはあるものの、それをうまく言葉に紡げなくなってしまっていたんです。

文章にするとわざとらしく感じてしまったり、書いたそばからウソっぽく感じてしまったりして…

だけど、今回は、文章にしないと落ち着かないくらいの感情を感じ、たくさんの時間をかけて、この文章を書きました。

そして、この文章を書くにあたって、改めて自分が今まで書いた文章を読み直すこともしました。


で、やっぱり、文章を書くことが私は好きだなぁって。


確かに、文章では、そのときの感情や考えを、全て網羅して書き留めることはできないかもしれない。

でも、わざとらしくなってでもウソっぽくなってでも、文章に残さないと、その感情や考えは忘れて、無いものになってしまう。

それだったら、不十分でも、書き記して残しておいた方が良い。

ここまで書いてきて、そんなことにも気づけました。


人に見せるために書いてる訳ではないけど、でも、人目を気にしないとうまく書けない。

自分の中でもそんな矛盾もあるから、“ブログ”という媒体が、自分の整理のために、一番ちょうどよくて。

これを機に、また、自分のための文章を書く時間を取りたいなと、思えるようになりました。

また、こんな形でブログを使わせてもらうことになるかもしれません。




尊敬してやまない、大好きな先生。

先生に支えてもらいながら何とか駆け抜けたあの日々は、私の人生において、とても大きな意味を持っています。

先生にたくさん助けてもらったご恩は忘れません。

先生にそれをお返しできなくなってしまったこと、先生に感謝をお伝えできなくなってしまったこと、それが本当に本当に悲しいです。

代わりに、先生からいただいたたくさんの大切なものを胸に、私を必要としてくれている周りの人たちに手を差し伸べ、ご恩を送っていきたいと思います。


最後になりましたが…

先生のご冥福を、心よりお祈りします。