こんにちは。


昨日の事でした。


予定があって、急いで駅に向かうと
偶然教え子と遭遇しました。


私が初担任したときの、
前期の学級委員です。


彼女は私を見つけると、
とても驚いた表情を見せ、
すぐに駆け寄ってきました。


泣きそうな顔で


「先生、私は六年生になりました。
私たちはみんな元気にしています。」


そして少しだけ会話をして、
最後は言葉を慎重に選びながら


「私たちも頑張るので、
先生も頑張ってくださいね」


そう言ってくれて、
私たちは束の間の再会を
終えました。


時間にしたら、
きっと2,3分でしょうかね。


だけど、
私はこの一年の中で
いちばん幸せな瞬間でした。


彼女から話しかけてくれなかったら
どうしたかわかりません。
もしかしたら、声をかけることは
出来なかったかもしれません。


いつもそうでした。


いつだって、
歩み寄ってきてくれて、
私を幸せにしてくれた
可愛い可愛い子どもたち。


かけがえのない、
宝物です。


その瞬間だけは、
一瞬で教師に戻れました。


そして私は、そのときの
自分が、好きだと思いました。


何が自分らしさかなんて、
わからないけれど、
とても居心地がよかった。


私は、教員である自分が
好きだったのかもな、と
すごく思いました。


私が失ったものの大きさを
思い知らされました。


私には、教員に戻る道も
あります。


だけど、こんな状態で
戻っていいのだろうか。


だって、自分で自分が認められず、
好きになれないから、子どもたちに
救いを求めているなんて、それって
やっぱり、おかしいと思うの。


つまりは依存。


そして、私が子どもから得られる
幸福感と、職場から受けるストレスを
秤にかけた結果、私は壊れてしまった


そういう事でしょう?


だれか1人でも、
助けられる人がいるなら、
そう思って始めた教員生活、
救われていた1人が自分だった


そんな滑稽でみじめな話が
ありますか?


私には子どもが必要だし
たぶん教員に戻りたいのだと
思う。


だけど、今戻っても
同じ事の繰り返しに
なってしまう気がする。


子どもに埋めてもらうんじゃなくて
自分で自分自身を愛することが
出来るようになったとき、
今度こそきちんと子ども一人一人と
向き合える気がする。


今は自分の居場所が見えず
ものすごく苦しいけれど
神様がくれた一瞬の幸福感を胸に
日々を一生懸命生きてみたいと
思います。