裁判において、次回期日が最終弁論(結審)であると明示されず、突然今回が結審として判決日が指定された場合、当事者が主張や証拠を尽くす機会を奪われ、憲法第32条が保障する「裁判を受ける権利」や適正手続き(デュー・プロセス・オブ・ロー)を侵害する可能性があります。特に、東京地裁及び東京地裁立川支部ではこのような傾向が強く、裁判官の裁量の狭さが目立つ今日であります。本人申請の裁判は、裁判官の自由心証主義が横行する、悪しき習慣があります。
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在宅医療/はじまりの姉妹
— 女傑フミと姉タツの往診劇場・その3 —
白衣を脱いだ日![]()
玄関に上がろうとした、そのときでした。
「先生。」
呼び止める声。
振り向くと、フミさんがじっとこちらを見ています。
目が――笑っていません。
「うちは病院じゃありません。」
一瞬、意味が分かりませんでした。
「ここは、私たちの“家”です。
白衣を脱いでから、上がってください。」
低く、まっすぐな声。
玄関の空気が、変わりました。
「え……白衣ですか?」
「そうです。」
⸻
在宅医としての第一歩。
私は初回往診の緊張でいっぱいでした。
正直に言えば、少し誇らしくもありました。
白衣は医師であることの証。
それが当たり前だと、疑いもしていませんでした。
「いえ、これは医師として――」
次の瞬間、
「とにかく、ここではいらないと言っているんです。
分からないんですか。」
鋭い言葉が、玄関の空気を裂きました。
私は立ちすくみました。
⸻
“守るため”に私は来たはずでした。
なのに、私は“侵入者”でした。
「その格好で入られたら、姉は“患者”になります。
私たちは病人ではありません。ここで暮らしている“人”です。」
奥の部屋から、かすかな咳が聞こえました。
タツさんの、生活の音でした。
沈黙が流れ、白衣の袖が急に重く感じられました。
白衣は、医師の覚悟の象徴。
しかし同時に、自分を守るもの。
そして、人とのあいだに線を引くもの。
⸻
ここは治療の場ではない。
ここは、暮らしの場。
私は、ゆっくりとボタンを外しました。
一つ。また一つ。
白衣を脱いだとき、
胸の前にあった境界線が、すっと消えました。
心が軽くなりました。
⸻
けれど、そのとき私は、
医者であることを失う怖さを知りました。
鎧を脱いだ医者は、ただの人間です。
在宅医療は、
その“ただの人間”から始まる。
私はあの玄関で、そう教えられました。
⸻
白衣をそっと置き、
私は奥へ進みました。
それが、
私の在宅医療のはじまりでした。
⸻
(続く)
在宅医療/はじまりの姉妹
女傑フミと姉タツの往診劇場・その2
〜在宅の覚悟は現場から〜
上京したばかりの私は、右も左も分からぬまま、とりあえず武蔵野市に小さなアパートを借りて、新生活を始めていました。
Hクリニックの外来にも少しずつ慣れてきた頃、ついに在宅医療“現場デビュー”の日がやってきました。
患者さんは、先日ご挨拶したタツさん。
「さあ、今日から在宅医として張り切って頑張るぞ!」
タツさんは数年前の脳梗塞の後遺症で左半身に麻痺がありましたが、89歳とは思えないほど頭はしっかりされていました。
もともと神経内科医だった私は、脳梗塞後遺症の患者さんの診察には慣れていましたし、正直なところ診察そのものに不安はありませんでした。
念願の在宅医。
「これからは、在宅医療の時代だ!」
20代の私の胸は、夢と希望とやる気でパンパンに膨らんでいました。
白衣を着て、気を引き締め、往診カバンを抱えて、フミさんとタツさんの待つご自宅へ自転車で向かいました。
地図でご自宅を確認すると——
……あれ?
なんと、おふたりの家、私のアパートの目と鼻の先。
最初にH院長に連れてきていただいたときは、そんなことに気づきもしませんでした。
「近い!ラッキー!」
そのときの私は、本気でそう思っていました。
ええ。
このときはまだ知らなかったのです。
それが“幸い”ではなく、のちに“ご近所という名の修行”だったとは……
(苦笑
)
ピンポーン!
チャイムの音とともに玄関の戸が開き、現れた妹のフミさん。
私の顔を見たその瞬間、眉がぴくりと上がった——ように見えました。
そして。
それは気のせいではなかったのだと、私はこのあと、身をもって知ることになるのです。
「先生、ちょっとこちらへ」
にこやかな声。
でも目は笑っていません。
玄関先で靴をそろえながら、私はまだ気づいていませんでした。
この家の“主治医”が自分ではなく、フミさんであるという、在宅医療最大の現実に。
こうして——
私の“在宅医療修行時代”は、ご近所のフミさんタツさんのご自宅から、静かに、そして確実に始まったのでした。
⸻
その3へ続く
在宅医療/はじまりの姉妹
女傑フミと姉タツの往診劇場・その1
この物語は、二〇年以上前に天国へ旅立たれた、おふたりへの感謝と愛しさを込めてシリーズとして、ここに書き記させていただきます。
「福祉日本一のまち、武蔵野市で、在宅医療にたずさわりたい」
二十代だった私の胸にあったのは、ただその思いだけでした。
医師になって4年目。
ようやく恩師・納教授の許しを得た私は、親兄弟にも告げず、鹿児島からひとり、東京へ向かいました。
在宅医療についてそれまで学んだことは一度もなく、そもそも在宅医療の「ざ」の字すら知らなかった私。
今思えば、無謀以外の何ものでもありません。
介護保険もなく、訪問看護ステーションなんて影も形もなかった時代。その「在宅」の現場に、私は独り飛び込んだのでした。
そんな私が、患者第一号として担当することになった在宅患者さんが、脳梗塞の後遺症で車椅子生活を送っていたタツさん。
そして、その暮らしを一手に支えていたのが、妹のフミさんでした。
私を公私ともに支えてくださった、武蔵野市の在宅医療を牽引していたH診療所の院長は、上京したばかりの私を、タツさんとフミさんの二人暮らしのアパートに連れて行ってくれました。
「まあ、そうなのね。はじめまして、どうぞよろしく」
当時七十九歳のフミさんは満面の笑みで迎えてくださいました。…が、その眼差しの奥は笑っていませんでした。
「はい、ほんとうに」
帰り際、H先生が忘れもしないひと言。
「このおふたりの在宅療養を支えられないようなら、在宅医療の専門家なんて名乗っちゃダメだよ」
ピシッと、背筋が伸びました。
でも、まさかこの出会いによって、私の“在宅医療人生”が一から鍛えられていくことになるとは、そのときの私は、まだ知る由もなかったのです。
なぜなら、泣く子も黙る“武蔵野市一の女傑”と言われていたのが、何を隠そうこのフミさん。
(私は、だいぶ後に知りました。)
元高校教師で、理不尽があれば市長室にも都庁にも単身乗り込む、筋の通らないことは絶対に許さない、そんな厳しい人でした。
一方で、十歳年上の姉・タツさんは、柔らかく温厚で、まるで陽だまりのような存在。
姉妹はまるで対照的でしたが、そこには深い絆が流れていました。
こうして、私の在宅医療地獄が、静かに幕を開けたのでした。
(フミさん、…ごめんなさい) その2に続く
参議院予算会議(12月16日)にて、総理大臣に耳打ちをして進言する姿は醜い!テレビカメラが中継しているのを意識しているのは厭らしい!防衛大臣はどっしりしているべきである。この防衛大臣に国の安全は任せられるのか?
平成29年2月9日判決言渡,同日原本領収裁判所書記官 杉山緑
平成28年(7)第21205号 遺産確認請求事件
口頭弁論終結日 平成29年1月24日
主 文
1. 別紙特許権目録記載の特許権及び別紙商標権目録1及び3の商標が故原善郎三(平成20年10月1日死亡)の遺産であることを確認する。
2 別紙商標権目録2の商標のうち、旧商標登録番号第4431043号,第4 436085号,第4636254号,第4702281号,第476744 4号が故原善三郎(平成20年10月1日死亡)の遺産であることを確認する。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 新訟費用は、これを5分し、その1を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
別紙特許権目録記載の特許権及び別紙商標権目録1ないし3の商標が故原善三郎(平成20年10月1日死亡)の遺産であることの確認を求める。
第2 事案の概要
本件は、原告が、故原善三郎(平成20年10月1日死亡。以下「善三郎」という。)の共同相続人である被告らに対し、遺産分割の前提として、別紙特許権目録記載の特許権及び別紙商標権目録1ないし3の商標が善三郎の遺産であることの確認を求める事案である。
1. 争いのない事実等(証拠によって認定した事実については末尾に証拠を掲記する。その余は争いのない事実である。)
(1) 善三郎は、平成20年10月1に死亡した。
(2) 善三郎の法定相続人は、原告と被告らの3名である。
(3) 善三郎は、生前,同人名義で、別紙特許権目録記載の特許権(特許第3 432175号(以下「本件特許権」という。)を平成15年5月23日に登録した。本件特許権は、現在もそのまま特許登録原簿に記録されている。
(4) 善三郎は、同入名義で、別紙商標権目録1ないし3の商標権(以下「本件商標権」という。また、本件商標権のうも、個々の商標権については、商標権目録の番号に合わせて、「本件商標」などという。)を登録した。 本件商標
権1は、そのまま善三郎名義で更新されている。本件商標権3は、 存期間満了を理由に失効し、その登録抹消された。
(5) 原告と被告らは、平成21年7月24日,遺産分割協議書を締結の時点で判明していた善三郎の遺産を分割したが、その後に新たに判明遺産については改めて協議することとしていた。なお、遺産分割協議書には分割すべき遺産として本件特許権及び本件商標権が挙げられていない (甲1)。
(6) 原告は、被告らに対し、本件特許権及び本件商標権につき、新たに判明した遺産として分割協議を申し入れたが、被告らは、これらはいずれも株式会社ザマイラ(以下「訴外会社」という。)に実質的に帰属するもので遺産の範囲には属しないと主張した。原告は、東京家庭裁判所に対し、平成28年3月2日、遺産に関する家事調停を申し立てたものの、被告らは同様の主張をしたため、同年6月3日の第2回調停期日において不調となった。
2 争点及び争点に対する当事者の主張
(1) 本件商標権2の「商標登録」 番号として列挙された部分と「旧商標登録番号」として列挙された部分は同一か(争点1)
(原告の主張)
本件商標権2については、被告らにおいて、善三郎死亡後これをいったん失効させた後、訴外会社名で改めて商標登録をしている。本件商標権2のうち「商標登録」番号として列挙された部分(商標登録 第5465438号, 第5472544号,第5664262号,第5717381号,第577 6956号。以下「訴外会社名登録部分」という。)と「旧商標登録番号」 として列挙された部分(旧商標登録番号 第4431043号,第4436 085号,第4636254号,第4702281号,第4767444号。 以下「善三郎名登錄部分」という。)とは同一性がある。
(被告らの主張)
本件商標後2のうち、訴外会社名登録部分は,善三郎の相続開始後に発生したものであるから、善三郎の相続財産に含まれることはあり得ない。訴外会社未登録部分と善三郎名登録部分とは、同一性がない。
(2) 本件特許権及び本件商標権の実質的な帰属主体が訴外会社と認められるか(争点2)
(被告らの主張)
本件特許権,本件商標権1及び3,本件商標権2のうち善三郎名登録部分は、被告らが代表取締役を務める訴外会社を権利者として発生し、善三郎の相続開始時においても同社に帰属していたものであるから、善三郎の相続財産には含まれない。
本件特許権は、平成11年頃、化粧品成分の開発の委託を受けていた取引業者から、当該開発過程で確認された新たに特許可能な成分について特許出願するよう提案を受け、出願に着手したもので、発明の開発の費用、出願費用、特許料を訴外会社が負担した。本件商標権のうち訴外会社名登録部分以外のものについても、訴外会社の化粧品販売事業の新商品に付す目的で出願されたものであり、出願・登録費用は訴外会社が負担している。以上につき、 善三郎は、訴外会社の実質的経営者として積極的に関与して意思決定してきたものであるが、他方で、特許権者、商標権者としての形式的な名義登録だけは、個人のものとしたいと強く固執したため、特許権者・商標権者の名義人は善三郎として出願された。
(原告の主張)
特許法上は、出願人と発明者という概念があり、これに基づいてのみ特許権者が決定されるのであって、これ以外の者が特許権者と認められることはない。
(3) 原告が本件特許権及び本件商標権を認識していたか(争点3)
(被告らの主張)
原告は、平成7年6月から平成13年4月まで、訴外会社の副社長兼製造統括者の地位にあったから、その立場上、上記(2)における被告らの主張にかかる事実を認識しており、 本件商標権のうと訴外会社名登録部分以外のものの権利者が訴外会社であることを認識していた。よって、 本作特許権及び本件商標権のうち、訴外会社名登録部分以外のものは、「被相続人につき」「発見された」 「新たな遺産」には当たらない。
(原告の主張)
原告は、「訴外会社で勤務していたことは認め、その間、同社の業務で使用する特許の出願や商標権の出願に若干関与したことはあるが、最終的に権利者が誰なのかは全く関知していない。遺産分割協議において、本件特許権や本件商標権について原告が全く思い至らなかった事実は認める。この協議においては、被告らが依頼した税理士が遺産調査を行った結果として俎上にのぼった遺産の分割協議が行われたため、原告代理人において、今回俎上にのぼらなかった遺産があるかもしれないことを危惧して再協議の条項を加えてもらったものである。
第3 争点に対する判断
1 争点1(本件商標権2の「商標登録」番号として列挙された部分と「旧商標登録番号」として列挙された部分は同一か)について
(1) 証拠によれば、以下の事実が認められる。
ア 本件商標権2のうち、善三郎名登録部分については、以下の日時に、存読期間満了を原因として、登録が抹消された(甲6の2、7の2、8の2、 9の2、10の2、乙17,19,21,23,25)。
旧商標登録番号 第4431043号 平成23年7月13日
旧商標登録番号 第4436085号平成23年8月10日
旧商標登録番号 第4636254号平成25年9月25日
旧商標登録番号 第4702281号平成26年5月14日
旧商標登録番号:第4767444号 平成27年1月28日
イ 本件商標権2のうち、新外会社名登録部分につき、以下の日時に、訴外会社を登録名義人として、登録された (甲6の1,7の1、8の1、9の1.10の1、乙18,20,22,24,26)。
商標登録 第5465438号 平成24年1月27日
商標登録 第5472544号平成24年2月24日
商標登録 第5664262号平成26年4月18日
商標登録 第5717381号平成26年11月14日
商標登録 第5776956号 平成27年7月10日
(2) 新外会社名登録部分は、善三郎の相続開始(平成20年10月1日)の後に登録されているから、善三郎の遺産であるとは認められない。なお、原告は、善三郎名登録部分と訴外会社名登録部分が同一である旨主張するが、商標権は、設定登録により発生するから(商標法18条)、これ 「らが同一であるとは認めることはできない。善三郎名登録部分が善三郎の遺産であるかについては、争点2において検討する。
2 争点2(本件特許権及び本件商標権の実質的な帰属主体が訴外会社と認められるか)について
特許法上,出願人,発明者などが特許を受ける権利を有し、審査を経て設定の登録により特許権が発生するものとされており、特許権は権利者として登録された者に帰属すると解される。被告らは、本件特許権につき、権利者として登録されたのは善三郎であ
るが、 実質的には訴外会社に帰属すると主張するが、上記の特許法の解釈からすると、 登録とは異なる「実質的な特許権者」という概念を容れることはできないから、 本件特許権が訴外会社に実質的に帰属し、善三郎の遺産ではないとの被告らの主張は採用できない。この理は、本件商標権についても同様である。したがって、本件特許権、本件商標権1.3、及び本件商標権2のうち善三郎名登部分は、善三郎の遺産であると認められる。
3 争点3 (原告が本件特許権及び本件商標権を認識していたか)について
争いのない事実等、証拠及び弁論の全趣旨によれば、原告、被告らの間の遺産分割協議においては、原告から本件特許権及び本件商標権を遺産分割の対象とすべきとの指摘はされず、本件特許権及び本件商標権については遺産分割の対象とされなかったこと (甲1) が認められる。被告らは、原告は本件特許権及び本件商標権のうち訴外会社名登録部分以外のものの実質的権利者が訴外会社であることを認識していた旨主張するが、そもそも実質的権利者という概念を容れることができないのは上記のとおりであり、また、本件全証拠によっても、遺産分割協議において、原告が本件特許権及び本件商標権が遺産分割の対象とすべき財産であるこ
とを認識していたのにあえてこれらを除いた産分割協議を成立させたことを認めるに足りない。
4 よって、原告の請求は、主文の限度で理由があるから。認容し、その余を棄却
する。
東京地方裁判所民事第39部
裁判官 脇 田 奈 央
大の里と安青錦の一戦、審判部は八百長の権化!「二子山」土俵下にいてどこを見ているのだ!ボケとしているなら審判降格だ!大の里と安青錦、勝ったのは安青錦であると見える一番である。少なくとも物意が付いてもおかしくないだろう。土俵下にいたのは「二子山」親方である。
