10月下旬に願ほどきに出掛けてきました。
朱美さんが旅立ってから、自宅に祀っている神棚も触れることも出来ずにいまして。
100日過ぎれば、触れても良いのではないかと母に聞いたのです。
一緒に暮らしていたとはいえ、戸籍上では親族ではないし、問題ないのではなかろうか?と。
なんとも曖昧な話なのです。
調べてみたら、宗派などの違いで色々と判断が異なるようなのですが、私は無宗派です。
朱美の生前には、毎週のように休日には神社にお祓いを受けに行ったり、参拝に出掛けたりと通っていたのです。
私も知らなかったのですが、故人の願ほどきをするものらしく。その根拠までは理解してないのですが。
朱美さんが旅立って100日は経過した事であるし、願掛けしていた神社へと願ほどきとご挨拶に出掛けてきました。
すべての神社には一日で行けないので、近隣の数カ所の神社だけですが行ってきたのです。
それでも朝から夕方まで時間を要して、久しぶりに巡ってみると疲れました。
後日談で、実家の母に願ほどきに出掛けた話をしたところ、さすがに神社は次の命日までは行くべきではないだろうと。
完全に私の勇み足だったかな、そう思う反面で朱美さんの生前は通い続けた神社でしたから、願ほどきとご挨拶を済ませて安心しています。
時々、振り返って思うのは、朱美さんが旅立ってから、私の中では長い月日が流れている感覚なのです。
実際には半年にも満たない時間なのですよね。
夏が終わり秋が訪れて、気温も下がり始めてから、そろそろ電気毛布の準備をしなきゃいけない。
灯油も買って、ファンヒーターの準備も始めなきゃ!そんなふうに考える自分がいたりするのです。
深夜に何度となく目覚めては、隣に寝てたはずの朱美さんの状態を確認しようとしてしまう。
少しずつ、朱美さんの衣類や愛用品も整理して片付けていかなくてはならない。
そう感じながらも、なかなか手をつけれずにいます。片付けたとしても、納得できるまでは処分はできないで保管するつもり。
ドラゴンボールでも、何処かに実在してないものだろうか。