あたしの19歳の11月の出来事を話そうと思います





専門学生1年生だったあたし。
あたしは『資格の大原』に行っていました

場所は池袋。
4月に入学して資格取得のための授業の日々が始まりました。
そんな専門学生時代も半年が過ぎた頃のコト。
専門学校生活が忙しく、バイトは土日にしか出来ていない日々。
バイトは、高校2年生の秋から始めたとこ。
土日にバイトしていたトキ、なんだか体調が悪くなってきました

悪寒がするし、熱っぽくなり辛くなってしまい…バイトを早退するコトに。
案の定、熱が出ていて、翌日はかなり辛い状況になっていたので学校を休みました。
結局、3日間も熱が下がらず、寝込んでいました

3日目には朝、とうとう頭がおかしくなっていたのか、mamaとの会話が噛み合わない……!!
病院にも行けない身体になってしまい、mamaは、救急車を呼びました。
一軒家の2階があたしの部屋なので、もちろんひとりで降りるコトも出来ないあたしは、
救急隊の人2人がかりで救急車に乗るコトができました

人生初の救急車!!!
うん、救急車乗らないに越したことはないよね(´д`lll)
人生最初で最後であってほしいと思います

救急で運ばれ、ベッドの上で診察を様々なのをしてもらい、結果、入院するコトになりました

病名は何だったと思いますかー



正解は……………“肺炎”です!!!
肺炎って子供や老人が良くなるんじゃ……って感じだったけど、なってしまったものは仕方ない(´ω`)
入院してから数日間、高熱の日々で、その“高熱”という状況からあたしの身体は、全く辛くなかったのです

麻痺していたみたい………

そしてその高熱から、“幻覚”を見始めるようになったのです

他の人にはもちろん見えていないのに、自分には見えている。
病室なのに、今自分がいるのは学校だったりバイト先だったりお葬式会場だったり……。
その場にいると本当に思っているから、学校の友達やmamaに夜中にメールしてしまったり。。
幻覚見てしまうくらい身体がおかしくなっていたんだね。。
でも後から思ったら、“空飛べる”と思って病室の窓から落ちなくて良かったなと真面目に思うな……

熱もやっと微熱くらいまでおさまって来た頃。
肺炎なのでとにかく咳が一日中出て苦しかったし、ろくに寝れなかった(´ω`)
そして、タンと鼻水、何よりほぼ毎日頭痛が激しかった。。
肺炎は、こんなように風邪みたいな症状なのです

大原に通っていたあたしは、大原に入った“1番の目的”である“資格試験”の試験日を、
この入院した11月の末に控えていたのです!!!!!
資格試験とは、【日商簿記検定2級試験】

完全に入院していたその週末には、【全産能連の簿記検定2級試験】があり、
これは“日商”より断然簡単な検定なので、試験は受けないコトにしました。
でも、日商簿記は受けよう、受けなければ、と思っていたので、入院中体調が良いトキには勉強をしていました。
そして2週間ちょっと入院したあたしは、やっと退院。
でも肺炎の体調は一向に良くならず、とりあえず退院したという感じで、退院してからも辛い日々でした

咳がとまらず息が出来なくなる寸前!!!
学校を休み始めた日から、試験を挟んで1ヵ月ほど“休学”というカタチになりました。
そして、次の週末にいよいよ日商簿記検定!!!
止まらない咳が出るんじゃないかと不安になりながら試験に挑みました(>_<)
なかなか手応えはありました(^^)。
後日、試験結果が届きました!!!
結果、“合格”\(^O^)/\(^O^)/\(^O^)/
あたしが受けた前回の試験では、合格率がかなり低かったけど、そのおかげで
あたしが受けた回では合格率がかなり高く、ホントに基本の基本が問題に出たので
学校で勉強したコトそのままが出たりでした



ホントに“運”が良かったです!!!(=^ェ^=)
12月になり、元気な年末、そして年始を迎えることができました

あ、入院していたせいで試験をひとつ受けられなかったのもそうだけど、もうひとつありました!!!
それは、首都圏の大原生が集まって行われる【スポーツフェスティバル】

学校対抗のダンスにも出るはずだったから入院前、放課後にみんなで練習していたけど、
スポフェスに出られなくなってしまい凄く残念でした(ノ_・。)
だから幻覚見ていたトキに、スポフェスに参加しているのまで見てしまったのです

19歳になって2ヵ月くらいのあたしは、こんなコトがあったのでしたぁ

長ーーーくなってしまいました(´ω`)
最後まで読んでくれてありがとぅございましたぁー


