以前、

うつ状態がひどく、

ベッドから起き上がる気力も、 

朝起きてカーテンを開け

朝日を浴びる気力もなく、





仕事も出来ずに全くお金もなく、

家からも出る気力がなく、

向精神薬の副作用、離脱症状がひどく、

認知症みたいになっていて、

最底辺の生活が続いていた頃、






人生の目標や目的を持っていても

夢や希望を何一つ叶えられない状況に、

数十年来のアイデンティティが崩壊し、

精神的、肉体的クライシスで、

生きる意味を失い、

絶望の淵にあった頃が

長く続いた事がありました。





「どうして

こんな人生に

なってしまったのだろう!?」





と、

原因を何度も、何度も

過去を振り返っていました。














人間は身体を自分だと認め思っていて、

身体側に自分がいる前提で、

もともと実体のない自分にとって

不都合な事な起きると、

過去に原因を求めて

あら探しをする癖があります。





よく反省して、原因を探し出し、

考え方で追求して

正しい答えを見つけ出し、

どうにかしよう

何とかしようと

解決しなさいと、

教育されて育ってきているからです。





酷いうつ状態と、

向精神薬による離脱症状で、

精神的、肉体的クライシスを

毎日のように感じ、

苦しい症状で

命の危険を感じながら、

なぜ、こんな風になってしまったのか、

振り返って反省し続けました。




スピリチュアルにハマったのは、

人生が完全に詰んで、

生命の危険を感じている頃でした。




こんなになってしまった

原因はなんでなのか!?




幼少期の頃が原因か!?

生まれる前の母体の胎児の頃が原因か!?

先祖が原因か!?

守護霊が原因か!?

前世のせいか!?

前前前世のせいか!?




ずっと、過去に原因を求めていたら、

地球誕生前や、

宇宙創生以前にまで

思いが行き着きました。








思い方で追求して、

スピリチュアルの概念に当てはめると、




幼少期も、

胎児の頃も、

前世も、

魂も、

地球誕生前の頃も、

宇宙誕生以前も、




何もかも

精神的、肉体的に苦しく、

人生がめちゃくちゃになっている

原因だとしか思えなくなっていました。





当ブログで、

スピリチュアルのすべては、

言葉と考え方で定義している概念であり、

すべてに実体がなく、

考え上の造り事でしかない事を

お伝えさせて頂いておりますが、



生命の危険を感じていた当時は、

完全に信じ込んでいて、




「魂を浄化しないと!」




など、

肌見放さず

魂が汚れないようにと、

神社の御守りを抱きしめながら

持ち歩いていたりと、

完全に妄念に囚われていました。

スピリチュアル的概念に取り憑かれ、

完全に廃人なり、頭がおかしくなり、

見えないものが見えたりしてました。














ブッダの真の悟り、

禅の事実は、

いつだって変化する今の今の

生じている事実の様子のまましかありません。





原因と結果が別々にあると思って、

人間は、都合が悪い事が起きると、

過去に原因を探し求めて、

今の今の新しく生じている

事実の様子に重ねて、

考え方で、

後追いで今の様子と繋げちゃって、




「今、このようになってしまったのは、

あの時の行動のせいだ」とか、



「あんな事を言ってしまったから、

今、人生がこんなになってしまっている」と、



考え方で、後追いで勝手に解釈して、

自分勝手に結びつけてしまっていますが、




すべては生じては滅していて、

過去、現在、未来と

連続性はなく、



記憶の認識が

あたかも物事が連続性を持って

生じたまま継続し続けている

錯覚を起こさせているだけであって、



原因と結果が

別々に発生しているような

錯覚に囚われいるだけであって、



禅の今の事実の様子と云うのは、

原因と結果は常に同時であり、

因果一如でしかないのです。







ですから、

過去、現在、未来と

連続性を持ってして

時間の概念をともなった

人生と呼ばれているものは、



本当の真実は、

生じては滅してを繰り返していて、

前後は連続して繋がっていない、

常に新しい今が生じている

前後裁断であり、



身体を自分だと認め立てて、

自分と呼んでいる身体にとって

不都合な状況に陥って、

人生が詰んでしまっていると、

過去に原因を探し求めても、




過去、現在、未来と連続性を伴った繋がりは、

記憶の認識がもたらす

連続性による幻想でしかなく、



真の悟り、禅の事実は

原因と結果が同時の

因果一如でしかなく、




人生が詰んだ原因や、

精神的、肉体的、生命の危険にあり、

クライシスを迎えている原因を

過去にあら探しをして、

宇宙の誕生まで振り返って

答えらしきものが詳細に見つかったとしても、



記憶の認識による後追いの勝手な解釈で

今の今の危機的な様子に、

無理矢理考え方で

重ねて繋げてしまっているだけでしかないのです。



















人間は、

過去から引っ張ってきた原因らしきものを

作為して、

今の今の様子に引っ張ってきて重ねて、

事実だと認め思っていますが、



本当の現実の事実は、

指摘した通り、

原因と結果は別々ではなく、

連続性はなく、

生じては滅している

前後裁断の

因果一如であり、

 



後追いで曖昧な記憶で振り返り、

過去の何かが原因だと認め思い込んだものを

今の今の目の前の事実の様子と、

誤認曲解して

思考で自分勝手に結びつけてしまっている

のを事実だと認識していて、

夢を見て錯覚しているのです。