「私はいない」は、

絶対に体験、

体感できないのです。



認識が完全に一度停止しているので、

観察して観ている私

観察者の私

に絶対に気づけません。




そして、

実物事実自体の縁に触れ

認識が再び動き出し、




もともと、

解脱の体現に与る前から

最初から無我無心でしかなかった

と云うことが自覚されるのですが、


思考が止まった先に認識が落ち切り、

悟りに至ると勘違いしている方がいますが、

思いがありながら認識が完全に落ち切るのです。)



認識が完全に停止している際、

完全に認識がないのですから、

観察して観ている私

観察者の私

が完全に不在であり、





ですから、


私がいない事に気づいたとか、

私が消えたとか、

宇宙やモノや環境と一つになった、

私が何かを体験、体感したとか、

自己の不在に気づいたとか、

対象がない事に気づいたとか、

実物事実自体に気づいたとか、



いっさいあり得ないのです。




私がいない、

自己の不在

に気づいたと言う事は、

認識が完全に落ち切らなかった証拠であり、




完全に認識が落ち切らないと、

実物事実自体が露わになる事はありませんから、




ですから、

観察して

観ている私が残ってしまっているので、



認識の働きにより、

物事には

連続性があるという

錯覚が続いてしまう事によって、



私がいない

何かしらの

体験、体感を引きずって

固定観念になってしまったり、



悟り、解脱を対象とし認め立てて、

自分と対象としての悟りが

別々にある錯覚に囚われ、



探求を止められずに情報や知識の中に、

悟りを探し出そうとし、


頭での理解で

対象として認め立てたものの

正しい答えを探し出すと言う、

幼少期以降からの癖も働き、



悟り、解脱と云うものを

考えで解ろうとする

働きが起き続けてしまうのです。

 

 

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