Q、

どうして、

【Real Buddha】

の実践をされている方の

ビフォー、アフターの感想がないのですか!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

A、

過ぎ去った、

以前のその時の事を、

 

 

実践している時の事を、

 

 

良い事であれ、

悪い事であれ、

 

 

自分についての事や、

 

とっくに過ぎ去った以前の出来事を、

 

 

認め立てて

振り返って反省するモノこそが、

 

 

 

実体のない、

「仏道における消滅すべき自己」

 

にほかならないのです。

 

 

 

解脱の体現に与り

何かを得られるものではなく、

 

 

 

余計なモノが取れて

元々の身体に備わった

機能のままの戻った

と云えるのですが、

 

 

 

 

仏果を気にして

自分を中心に立てて、

 

 

完全に決着がついて

自己が完全に落ち切っていないにもかかわらず、

 

 

 

良い事であれ

悪い事であれ

 

 

振り返ったり、

反省するものこそが

自己であり、

 

 

そんな事をしていたのでは

肝心要の自己が完全に落ち切る事など

絶対になく、

 

 

生活における

実践がすべて無駄になってしまうからです。

 

 

 

 

 

お釈迦さんの本物の悟り

真の解脱と云うのは、

 

 

自己にとって

都合の良いものを得るために

実践するのではありません。

 

 

そのように

自分を立てて

やっているうちは、

ハッキリする事はありません。

 

 

 

実践の途中で

振り返って

取り上げて

 

「目の前で怒っている人がいても、

何も反応しなくなった」

 

とか、

 

「嫌な気持ちに囚われる時間が減ってきた」

 

 

とか、

 

そのように

「後から言葉で解説して喜んでいるのは、

いったい何なんですか!?」

 

 

 

それこそが、

実体なき

「仏道における消滅させるべき自己」

ですよね。

 

 

 

 

ですから、

参禅者に

後追いで認識して

取り上げて

実践の感想、

喜びや感謝の気持ちを

話してもらう事をさせないのです。

 

 

文章でも

振り返させて

そのように自己を働かせて

ブログなどで感想を書かせたりはしません。

 

 

 

 

そのように

自己を認め立てて、

 

自己にとって都合の良いものを

振り返って

取り上げ、

 

すでに跡形もない

以前のその時における「今」

を想起させて

 

 

「今」の実物の様子と

後追いの考えの解釈で

都合良く

原因と結果で

頭の中で好き勝手結び付けて、

 

 

「こんな仏果を得ました」

などとやっているのが消滅すべき自己であり、

 

 

 

そういう事をやっているうちは、

完全に決着してハッキリする事など

絶対にありませんから、

 

 

 

だから、

当ブログには、

参禅者の喜びの声だとか、

感想がないわけは

そのような理由からなのです。

 

 

 

 

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