自分を立てて聞こうとしていないにも関わらず、部屋にいて、はるか遠くで車の走り去る
「ブーン」
と聞こえちゃっています。
目の前に広がる世界のどんなに遠くの場所であったとしても、何かしらのモノが鳴ったと同時、瞬間に聞こえちゃっています。
つまり、
どんなに遠くだろうが、同時、瞬間に聞こえちゃっているのですから、距離がないのが事実なのです。
距離がなく、同時、瞬間に聞こえてしまっていると云う事は、時間が存在していないのです。
時間が存在していないと云う事は、自ずと空間が存在していないのです。
距離も時間も空間も存在していないと云う事は、
自他の分離対象がすでにないと云う事です。
ですから、耳と云うものも知らず、自分なく聞こえてしまっているありとあらゆる全ての音と名付けているモノは、対象ではなく、生じては滅する、ずばり「そのもの」になってしまっているのです。
これは知らずに聞こえている耳だけにおいて対象がないのではありません。
眼、見えているモノ全て、
鼻 嗅いでいるモノ全て、
舌 味わっているモノ全て、
身 触れているモノ全て、
意 自然と生じては滅する思い、考え
この幻化の空身の全ての機能において、距離も時間も空間もすでにないのが現実の事実であり、分離対象ではなく、「そのもの」になってしまっているのです。
対象なく、実相「そのもの」になってしまっているのが、日常生活の全てにおいて現前としている現実の今の事実の様子ですが、
対象なく目の前の環境やモノそのものになってしまっていても、
「そのもの」によって化かされて騙される事がない智慧も同時に機能しているのです。