「何もしないでそのまま坐ってください」

 

 




 

……どうして眼を閉じるのですか!?

 

 



 

現前としている

悟り、禅の今の事実の様子から、

どうしてわざわざそうやって離れるのですか!?







何かを求め得ようとしているのですか!?




もしかして、

五感や思い考え、

雑念や妄想、

感情や感覚を観察したら、

自分にとって

理想的な状態が得られると思っているのですか!?






目を閉じて、

出来ていると思い込み錯覚しているだけで、

固定的なある一定の

理想的な海の波のような静寂な状態にも、

リラックスして集中した状態にも、

緩んだ状態にも、

心地良い感覚にも

何一ついっさい思い通りに

コントロールして出来ていませんよ。






そうやって、
好き嫌い、良い悪い、
正しい間違い、高い低いと、
無常に移ろうあるがままの事実を否定し、

実物事実から離れて

目を閉じて

何か理想的なものを得ようと奮闘していて、

 

 




真実は一切皆苦にて

 

 




目を閉じて

そのように

理想的な何かを求め得ようとする奴こそ、

 

 



仏道における消滅すべき自己に他ならないのです。







そのように理想的なものを求め得ようとするから、

街に出て賑やかな場所に行った際に

思いや感情が縁に触れて騒がしくなりますが、

その時の騒がしい様子を受け入れられなくなるのです。

 

 


 

そして、また静かな場所を探し、

悟り、禅の今の事実の様子から離れ目を閉じて、

一定の固定的で理想的な不変なる海の波のような状態を求め得ようとする。





それって、

それで本当に自由と言えますでしょうか!?





救いにもなっていませんよね。









目を閉じた実践を教え伝えている時点で、

その指導者は完全に決着してハッキリしてはおりません。





身体の頭や丹田や胸や、

どこかの部位に意識を向けて置いたりと、

それらは仏道における消滅すべき自己に他ならず、

そのように指導している者は、論外です。







本質がどうたらこうたらと

話している輩がたくさいますが、

長年探求をしてきた経緯がありますが、

アメブロ内において、

悟り、自己の真相のための

実践指導をしている者で、

完全決着されてハッキリされている方は

一人もいません。









本質がどうたらこうたらと言って、

偽物の悟り指導者に本物の悟り、解脱ではないものを

悟り、本質だと思い込まされていて、

盲目的に騙されていることに気づいてください。