お釈迦さんの悟り、解脱の体現に与り、

その後、

どのように日常生活を送るのかと申すと、

人間世界の如来のままで生活するのが卒業なのです。

 

 

 

 

 

 

 

社会生活の娑婆に出ると、

思いや感情がさわがしくなります。

 

 

 

 

 

 

たくさんの縁に触れて、

騒がしくなるのは、当然の働きなのです。

 

 

 

 

 

実践修行中も、解脱後も

そのような騒がしくなるのを

いっさいそのまま受け入れっ放しでいるのです。

 

 

 

 

 

 

一定の絶対の平和的な平常心や、

静寂で在り続けようとするのは、

そんなのはお釈迦さんの悟り、解脱ではないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハッキリ決着したと言い、

人や社会生活から離れ、

静かな所で、静寂に在ろうと固執しようとしているならば、

その方は、完全に決着はついていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悟後は、

気取らず、作らず、飾らず、カッコつけず、強がらず、

 

 

 

 

 

人間世界の如来として、生活するのです。

それが、本当の解脱後の卒業なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、

苦しく辛いまんまだったら、苦しく辛いまんま

 

 

 

悲しい時に涙が溢れ、悲しい涙のまんま

 

 

 

 

喜びの時に笑顔溢れ、喜び笑顔溢れるまんま

 

 

 

 

 

 

 

 

ハッキリと決着し、自覚がありつつ、

 

 

 

身体側に自分がいて、自分が聞いたり、見ている感覚、

実体のない自己の自分がやっている感覚はなくなりますが、

 

 

 

 

 

 

 

 

法性の自他一如の如来として生活するのではなく、

 

 

 

 

大安心、満足、自由と開いていながらも、

 

 

 

 

お釈迦さんの真の坐禅の実践を継続しつつ、

 

 

 

 

人間世界の如来として生活するのです。

 

 

 

中村幸ム