多かれ少なかれ創意工夫して、
意図して問題解決しようとする働きが作用してしまい、
それもこれも、
この宇宙同根一如の生命活動の一環にほかならないのですが、
それでは、消滅すべき実体のない架空の自己が落ちる実践にはなっておらず、
自他の認識が完全に落ち切って、ブッダの解脱の体現に与り、
完全にハッキリすることはありません。
社会生活で便宜上、相手を立てる場面において、
物理的に存在しない
人が立ってきてしまうのも、
散歩や仕事中などの動中の禅で起きがちになってしまいます。
自他の認識が完全に落ち切り、
完全に決着をつけるには、
全ての縁を放捨するだけではなく、
「万事を休息して」
静中の禅として、
坐るか、
もしくは、何もせず姿勢を止めて、
自分にとって都合のいい何かを得るためではなく、
禅のために坐禅する時を設ける必要があるのです。
提唱を聴く事は非常に大事ですが、
それだけでは認識が完全に落ち切ることはなく、
解脱の体現に与り、完全にハッキリし、決着する事はありません。
これらの
そのような理由から、
ブッダの真の坐禅の正しい実践が必須となってくるのです。
方向性が間違ってしまわぬよう、
一人で問題なく坐れるようになるまで
二人三脚で実践する必要があります。
ブッダの真の悟り、解脱ではないものを
悟りだと思い込んで、
悟りだと称して、
瞑想や内観、有名な坊さんが指導しているような世間一般の坐禅とは180度真逆の
唯一の如来道です。
ブッダの悟り、解脱ではない、
間違った自己の悟り、解脱
偽物の指導者が横行しています。
時やお金を無駄にしないように気をつけてください。