『俺の代わりに、お前のように苦しんでる子の事、見てやってくれへんか?』


24歳の時、僕はそう先生に言われた。
ガンで腹部の切開手術を受けようとした先生だったが、
手の施しようが無いほどガンが転移し、
どうする事もできなかった。
先生は、40歳という若さでこの世を去った。
暗い闇の中を歩み、誰にも気付かれぬよう振舞って生きてきた僕を、
唯一褒めてくれた先生がいなくなってしまった。
僕は絶望の中で、先生と交わした約束という光にすがるように、
自分の足を無理矢理一歩、また一歩と踏み出させた。





大阪市東淀川区。
僕はそこで生まれ、すぐに父の故郷である九州の大分県に引越し、
5歳で東淀川区に舞い戻った。


幼い頃の記憶はあまりない。
僕は被虐待児童だったからだ。

人間の脳は、人体に影響が出るほどの辛い記憶を曖昧にする能力がある。
僕は記憶に空白がある。
ただただ辛い日々だった事だけは覚えている。


人には言えないような悪い事もしたし、
人を裏切り、生き延びる事だけを考えて生きてきた日々もあった。
誰もが「あいつとは遊ぶな」と言った。
誰もが「あいつは将来犯罪者にしかなられへんで」と言った。
僕はそんな誰からも愛情をもらえない中で、


俺はここにいる!誰か助けてくれ!


そう叫び続けていた。

そう心の中でしか叫べない自分が嫌で嫌で仕方なかった。
誰も信じる事ができない自分が嫌で嫌で仕方なかった。
親は虐待をしていた罪の意識から、自分と向き合う事さえできず、
子どもを放置するしかできない人だった。
ゆえに僕は親の愛情を知らない。
褒められた経験など皆無に等しい。



だが、そんな僕を唯一褒めてくれる先生がいた。


僕が挨拶をすると、


『おっ!元気こそないけど、お前の会釈の仕方は挨拶にはちょうど良い角度の挨拶だ!』


僕が悪いことをすると、


『エネルギー有り余ってるなぁ!よし!スキーでもしに行こか!』


先生は僕が中2の時、生まれて初めて焼肉というものを教えてくれた。
そんな物があるなんて知らなかった。
ご飯と水のようなみそ汁と漬物。
それでここまで生きてきた僕は、初めて食べる焼肉を、焦るように食べ続けた。

四季に合わせて色んな所へ連れて行ってくれた。



春にはアウトドアキャンプ。
夏には海。
秋には紅葉狩りを含む山登り。
冬にはスキー。


赤の他人の僕に、先生は色んな色とりどりの世界を紹介してくれた



今まで僕は、目の前に薄暗いフィルターがあるかのように、
暗い毎日を過ごしていたというのに、
美しい物を美しいと思い、
楽しい事を楽しいと思い、
美味しいものを美味しいと思える、
そんな人間として当たり前の感性を与えてくれた。



その先生が、ある日、連絡をくれなくなって4年の歳月が流れた。

再び会った時は、病院のベッドの上だった。


先生は僕にこう言った。



『世の中には、お前と同じように、毎日が暗いと思って生きてる子どもがたくさんおる。
 俺は1人でも多くの子どもに、欠落させられた物を取り戻してほしかった。
 お前もその1人や。
 なぁ、栄一、もし良かったら…あくまで良かったらやで?
 もし良かったら、俺の代わりに、お前のように苦しんでる子の事、見てやってくれへん
か?』


僕は即答できなかった。

先生は100人以上の子どもを見ている。
俺にそんな事ができるわけないって思ったし、
でも先生は余命いくばくもない。
答えられなかった。

その日はそのまま帰宅する事になった。


そして先生はその翌日、
僕が仕事をしている最中に亡くなった。
大好きだった先生がいなくなってしまった。


そして、先生が言ってくれた


『俺の代わりに、お前のように苦しんでる子の事、見てやってくれへんか?』


に答えられなかった弱い自分を恨んだ。
そして墓前に立ち、
今度こそはと先生に誓った。



俺がやるよ。先生。俺がやるから、見守っててくれよ




この日から、路上に座り込み、シンナーを吸ったり、ウリをやったり、

リストカットをしたり、ODになっている子ども達との、

大切な大切な日々が始まった。


先生、俺はまっすぐ立ててますか?
俺は約束守れてますか?
子ども達の事、ちゃんと見守れてますか?